松原信者の中に森英樹という男がいる。
いい歳してあっちこっちの掲示板で自分語りや西部邁氏の悪口(批判ですらない)を書き込んで喜んでいる珍妙なオッサンである。
その森英樹がこんな事を書いている。
福田恒存や松原正が主張する「政治と道徳を峻別すべき」と「道徳的でなければならない」というのは、チェスタトン『正統とはなにか』の二元論の説明を読めば分かる。難しくない。簡単。それ以前に福田の渡部昇一批判を読めば分かる。言ってることは同じこと。クリスト教徒の二元論は十字架の交叉をイメージすれば分かり易い。ドイツ哲学風に二項対立として考えると矛盾していると思うだろう。要するに政治と道徳は対立するものではなく交叉するもの。
「政治と道徳は対立するものではなく交叉するもの」だからといって、政治を道徳確立の為の手段として良いと言うことにはならないし、逆に道徳を政治の道具にしてもならない。
裁判を例にすれば分かり易いと思うが、裁判で基準になるのは飽くまで憲法・法律である(もちろん憲法・法律にも道徳的要素が含まれているわけだけど)。
裁判を「道徳」という明文化されていない抽象的な概念で行われたのではたまったものではないだろう。
ましてや、松原信者のいう「道徳」なるものが「個人の自由を国家が保証すること」なんだから、なおさらである。
そもそも「政治と道徳の峻別」を二項対立を解釈していたのは、森英樹ら松原信者ではなかったのか?
その種の批判は、「政治と道徳の峻別」をリバタリアニズム肯定と曲解した某新聞記者にこそ向けられるべきだろう。
ただ中川八洋が嫌いだというのは良いことだ。