学問への意欲が湧き上がってくると食事も忘れ、 呉智英曰、井上靖「孔子」では、人間の道に外れたことに対する怒りがこみ上げてくると食事も忘れる、となっている。初歩的な誤訳である。これでは、孔子は単なる癇癪持ちになってしまう。楽しみて以て憂いを忘ると続くことに思いを致さなければならない。 呉智英はばつさりやつてゐるけれども、決定的な結論とも言へない。 井上靖の「誤譯」は恐らく吉川譯を踏襲したもの。吉川説がどの注を參照したのかは調べてゐないが、少くとも吉川説が「ある」のは事實。松原先生の解釋は、この吉川説に據つたやうだが、意圖的に「怒つた」を採用したもののやうに思はれる。 「言葉 言葉 言葉」内のコンテンツ「闇黒日記」より一部転載 |
吉川幸次郎 憤りを発する、すなわち人間の将来を憂えての心情の興奮がおこると、そのために食事さえも忘れる。 「言葉 言葉 言葉」内のコンテンツ「闇黒日記」より一部転載 |