前回の記事で、くまのぬいぐるみの゛ぱて美ちゃん゛に登場してもらったので、
その時の思いで。。。。
私は今では社会人学生してますが、一回目の大学生の時、卒業できたのは24歳のときでした。
一浪して入学し、強迫性障害の治療で頂いた薬の副作用の為、一年休学せざるを得く、この歳になってしまいました。
世の中はバブルの絶頂期。
夏休み明け、教室ではみんなが、内定の話で盛り上がっていました。
日常生活もまともに送れていない私は、就職なんて夢の夢で、みんなの就職先の話を聞いたら、心はどんな状態になるか、実は、新学期、大学へ行くのが怖くてたまらなかったのです。
だけど、教室で聞こえてくる話には、意外と冷静でいれる自分がいて、少しホッとした気分になっていたのです。
その後ゼミの時間が始まりました。
担当の先生は初っ端から、みんなどこへ内定しているか、聴かせてください。
その話から、始まったのでした。
心臓の鼓動がその瞬間からバクバクしだし、他の人達が順番に答えていく、会社名に、私はダブルショックを受けていました。身体から血の気がひき、顔面蒼白(たぶんそうだったと思う)になるのを感じていました。
バブルの時だったので、全員が全員、一流企業の名前を口にしていったのです。
何度も書いている通り、私は子供時代から、エリートである事を当たり前のように育てられていたので、この時も、強迫性障害で、生きるのがやっとといった状態にも関わらず、「゛一流の就職先゛へ行くのが当たり前」といったプライド心は残ったままだったのです。
自分だけ決まってないというのが、当時の私にとってすごく屈辱な事で、全員の人が一流企業に就職を決めている事にも、屈辱や、言葉で言い表せない思いを感じていました。
順番がまわってくるのが、怖くて、怖くて、逃げ出したい思いでいっぱいでした。
その時、
「誰か助けて〜」
と心から悲鳴をあげていました。
だけど、ほんとに誰もいなくて、私は、心で ゛ぱて美〜゛って叫んで助けを求めていたのです。
くまのぬいぐるみの名前なんて呼ばなきゃしょうがない自分が、悲しくて、可哀想でたまらなかったし、ぬいぐるみなんて なんの助けにもならないと、寂しさでいっぱいでした。
その後もゼミの先生には毎回、聞かれつづけたのですが、何度も
「私は就職しません」
と言ってしまおうと思いましたが、どうしても出来ませんでした。
本当は、強迫から解放され、就職したくてしたくてたまらなかったんです。だから、この言葉を、口にする事が最後まで、できませんでした。
この時、一回目のカウンセラーさんのとこへ私は、通っていた時期でした。
「就職先の事聞かれて苦しいんだ」
という事を何度か吐露したのですが、この時の返って来た答えが、
「先生に直接いえないのなら、手紙でも出して、事情を話せば・・・・」
だったのですが、 すごく悲しさが倍増するのを感じていました。
「本当は就職したくてたまらないけど、病気のためどうにもならない苦しさ。全員決まっている中で、就職先を聞かれ続ける屈辱や悲しさ」
そんな苦しい感情を、カウンセラーさんには、言葉にして返して欲しかったんですよね。
私が今カウンセラーとして、こんな自分に接するなら、そう接するかなぁ。
「先生に事情を話す・・・・」
こんな解決索は、口にしないかなぁ。たぶんこんな事は、本人が考えすぎるほど考えている事だと思うので・・・・
私は、普段カウンセリングで、出会った方々に接する時、こんな心の苦しさの感情を出来る限り大切にしているつもりなんですけど、実際できているのかと、反省する毎日です。
ついつい 事柄に目を奪われてしまうんですよね。
この時、母からも就職を求められ続けていたんです。家族の前では、微塵も症状をみせずに、明るく振舞っていましたから、
「もう治ってるんでしょ。だったら就職を決めなさい。何してるの・・・」
って・・・・
この就職の事で、母との間で、本当の事が言えなくなり、追い詰められ、嘘をつかざるを得ない苦しいことになっていくのですが、またこの事も、いつか書くかもしれません。
うーん ひさびさに 過去のことばかり書いちゃった。
あー そういや、涙なんて外で流したことなかったのに、この時帰りの電車で、大粒の涙をこぼしてしまったんですよね。
こんな時期もあったので、今の私があるので、今は、みんないい思い出かなぁ。
色んなことが経験できて良かったです。