実話.....かもしれない  

「房枝、賢一、さようなら お父さんは二時間ほどしたら遠い遠いとこへ行ってしまいます。もう一度会いたい、もういちど暮らしたい……
お父さんは生まれ変わっても人間にはなりたくありません。人間なんていやだ。もし生まれ変わっても牛か馬の方いい。いや、牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。

どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ深い海の底の貝にでも…そうだ貝がいい。貝だったら深い海の底でへばりついていればいいからなんの心配もありません。深い海の底だったら戦争もない、兵隊に取られることも無い。房枝や賢一のことを心配することもない。どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい。」

(フランキー堺主演「私は貝になりたい」での台詞。Yahoo!ジオシティーズの投稿より転載)

このドラマは、当初橋本忍の作とされたが、テレビドラマの「私は貝になりたい」の放送翌年に盗作疑惑が持ち上がったのだそうな。加藤哲太郎と言う人が自身の獄中記「遺言」にそっくりだと著作権協会に異議を申し立てその異議以降は、この作品の原作は加藤哲太郎という事になったらしい。当初、物語(作り話)だと思われていた「私は貝になりたい」は実話の様相が強くなってきたが真実は今もよくわかっていないらしい。テレビドラマの最後の場面は今も強く心に残っている。絞首刑への階段を上っていく、その場面は子供心に強く焼き付けられた。死刑はあんな風に十三階段を上っていくのだなぁ、と思ったのだった。

主役のフランキー堺氏は慶大法科卒だそうですが、自伝がモデルではないかと申し出た加藤さんは、同じく慶応大学の理工学部の故中西正和さんの歴史データベースによれば、横浜の軍事法廷で絞首刑の判決が下った後にマッカーサーが審理のやり直しを命じ、有期刑30年の判決。それから10年後に著作権協会に異議を申し立てたのだそうだ。17年後59歳でガンのため亡くなられたと聞く。見聞にて恐縮ですが、戦後50年の朝日新聞の社説によれば、加藤さんは家族の嘆願によりテレビ放送された年に釈放されたとなっていたらしい。

昭和18年には日本でも陪審員制度があったらしいけれど、この横浜の軍事法廷と言うのは当時の陪審法廷を使用していたのではなかったのかしらん?この法廷自体は某大学に移築され、実際の授業に使用されたりすることもあるようだけれど、裁判員制度導入って......なんと言いますかね。
幾ら弁護士のていたらくが酷いとはいえ。






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