北野誠さんが芸能活動自粛に追い込まれてしましました。
何者かの手によってぷっつりと消されてしまった感じです。サイキックの最終回を聞きましたが、涙ながらに話す誠さんが妙に切なかったです。というのも僕はイベントにも頻繁に通い、放送は全て録音するような熱狂的なサイキッカーではなかったですが、中学、高校という時期にサイキック青年団を聞いて過ごし、そのトークに出てくる映画やドラマ評、日々の交遊録、テレビの噂話、プロレス、風俗話などなどまだ子供だった僕にとっての未知な大人の世界を少しだけ教えてくれる番組だったのです。山本リンダ事件の時もリアルタイムで聞いてましたしね。
大人になって何度か誠さんと一緒に仕事させて頂く機会がありました。なぜか誠さんを嫌う人は多いのですが、仕事の折にも決して横柄でなく色々気づかいしてもらい、同席していた若い男が緊張でドモリながら誠さんにした質問にも快く応えてくれたり、ホテルまでタクシーを手配したにも関わらず最寄駅で降りて電車で帰っていったりとここで全て伝えれれない事があったりと決して悪意のある人じゃないと思うのですがね。
未だ、活動自粛に追い込まれた原因である”不適切発言”が不明のままです。何を言ったのかが発表できないというのは大きな権力を持った人の逆鱗に触れたと言う事でしょうか。これはもう言葉狩りで、見せしめに近いものを感じます。メディアがだんだん窮屈になっていく感じがします。
恐らく誠さんはファンに対するサービス精神が生んだ発言だったと思うんです。過激なトークを期待するファンの為に。人って慣れてくるともっともっとと欲が出てくるもので、ファンの期待度が上がりすぎていて安全を約束されているようなトーク内容では納得できない。そんな事を誠さんは感じたのかも知れません。あくまで勝手な僕の想像ですけど。
言葉狩りと聞くと「レニーブルース」という僕の好きな映画を思い出します。レニーブルースという実在したアメリカのコメディアンの話なんですがその映画の内容と今回の事件、似ている気がします。
言論規制の厳しい1950年代、過激な発言、政治批判などで人気が出たレニーブルース。映画のワンシーンに印象に残っているものがあります。
舞台上からレニーが客席にいる黒人に「ニガー」と問いかけます。もちろん客席の黒人たちはユダヤ人のコメディアンごときに言われる筋はないと凍った空気になる訳です。それに応えて、レニーは「誰がお前らがニガーという言葉に侮蔑感を与えたのか」と反論します。悪いのは言葉そのものではなく、ニガーという言葉に悪意を込めた白人たち、そしてニガーが屈辱の言葉と自ら決めてしまった黒人たちではなかったのか。開き直れば、言葉は記号だ。この記号に悪意と恨みが封じ込められた時に、タブーとなる言葉が生まれてくるのではないか。というシーンが印象に残っています。そうして次第に人気を博していくのですが、いずれは内容よりも過激な発言に囚われてレニー自身のメッセージよりも過激な発言を期待する観客に翻弄され次第に思いの無い過激な発言を繰り返し警察に連行され落ち目になっていくのです。
最後は麻薬中毒で死んでいく訳ですが、20歳の時にこの映画を見て言葉の持つ力を考えたもんでした。いつの時代も権力者は言葉を刈るのが好きなんですね。戦時下の日本でも言論規制が厳しかったように、言葉を封鎖する事で、権力者は自分達の思い通りに我々のよううな庶民を操ってきたのでしょうか。現在、言論の自由と言いながらも以外にそうでないように特にテレビなどメディアでの発言に関しては規制が多すぎてそこに盾つくものは追いやられてしまう。窮屈だなぁ。
そんな事に負けず誠さんには復帰して頂きたいです。
その時はぜひうちで復帰ライブを企画したいもんです。これまで中島らもさんの復帰ライブ「法治国家と個人マリファナ懺悔」や横山ノックさんの復帰ライブなど企画したうちとしては何らかの矛盾や憤りを粉砕することにほんの少しでも力になりたい訳です。そいう思いで過去復帰ライブというものを企画してきてマスコミからの電話も一日中鳴り止まないし大して儲かるわけでもない。でもいつか。
現実を知らずに勝手な事を書いてます。お許しを。

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