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2011/8/11

心の闇  

血の繋がった家族の愚痴です。
完全チラシ裏内容だし苦手な人は見なくてOK。

私は血の繋がった家族との仲があまり良くない。
私は血の繋がった自分の家族を好きになれない。

父…何よりも愛犬銀次を最後まで可愛がってくれなかった。
銀次は母が最初に飼い始めたけれど、父は最初から犬を飼うのを反対してた。
なので、銀次の世話は一切してくれなかった。
「銀次」の名前を呼んだ事は一度もない。
ウチの家はどちらかというと母の方がしっかりしてた。
その母が私が小学校高学年ぐらいの時に入院し始めた。
その頃から少しずつ父からの八つ当たりが始まった。
八つ当たりといっても直接的な暴力を受けたわけではない。
言葉の暴力。
「あの犬に青酸カリ入れたろか」「あの犬まだ生きてるんか」(←人として信じられない)
「あの犬保健所連れて行け」(←・・・)
「お前に高校受験なんか無理」(←中3の時。ちゃんと高校行って卒業はしましたよ。)
「またしょうもないもん見てるんか」(←普通にTV見てただけ)
「そろばんなんか習っても何の役にも立たん」(←けっこう長い事習ってたんです)
「絵ばっか描くな」(←誰にも迷惑かけてないのに何でダメなんだろう…)
銀次がじゃれて顔を舐めてくる。「汚い。病気になる。」
体調崩して食欲なくて食べられなかった時「お前それでよく生きてるな」
財布を無くす(後で見つかったけど)。「お前の友達が盗ったんやろ」
小学校低学年の頃。カレンダーの写真が綺麗で取っておいたけど捨てられた。「そんなん取っといて何になるんや」(←親から見たらゴミでも子にとっては宝物なんです…。)
銀次が死んでお墓参りに行くと言ったら鼻で笑われた。
その他色々…。
そして父の目につくものは全てゴミに見えたようです。
学校の授業で使ってたフロッピー、捨てられました。(おかげで提出できず成績下がりました。)
保護者の印鑑がいるプリント、テーブルの上に置いてたら捨てられました。
(以後、自分で勝手に判子押して提出するようになりました。)
友達から誕生日プレゼントに貰ったぬいぐるみ、自分で買ったお気に入りのぬいぐるみ、
親戚の子に勝手に送られました。
イラスト描いた紙、わざわざくしゃくしゃにして捨てられました。
高校卒業したら制服も教科書も即捨てられました。
服も何着か勝手に捨てられました。
銀次が死んだら次の日には犬用の餌が捨てられてました。(犬飼ってる人に譲れたかもしれないのに…)
友達同士の旅行すら許してくれませんでした。おかげで卒業旅行というのに行ってないです。
初めて仕事が決まった時最初に言われた言葉が「お前にできるんか」
ウチの父は人として何か欠けてると思う。
話は少し飛びますが、結婚の1ヶ月前ぐらいに両親顔合わせがあった。
父は言った。
「別に虐待とかしてないのに一人暮らしするって言い出して聞かなくてね〜(笑)」
「この子は何もできない子です。」
この糞親マジで○んでくれないかな、と思った。


兄…一言で言えばDQN。
10代の頃に少年院行き、成人してからも1度捕まってます…。
何で捕まったのかは知りません。喧嘩がどうのとか言ってたけど興味もありません。
高校に受かって母親が喜んでたのは覚えているけど、
その後、兄の制服姿も高校行ってた事もどこの高校に通ってたのかすらも記憶にない。
兄はすぐに高校やめて中卒です。
兄は素行の悪い人だったので、その分私は母からは過保護にされてました。(私はそれが嫌だったけど)
私は特に真面目にしているわけではない、普通にして学校行ってました。
それだけで凄く誉められました。
兄から見たらそれが気にくわないようで、
子供心に「ああ、兄は私の事が嫌いなんだなぁ」と思ってました。
兄というより他人みたいな感じで、自分の兄が怖かったです。
ほんの少しの事で殴られました。(グーではないけど。)
ナイフを突きつけられた事もあった。ライターの火を顔に近づけられた事もあった。
私はいつか兄に殺されるんだろうかと本気で怯えていた事もありました。
私の映った写真の私の顔にカッターナイフで×印を入れられてたのを見た時は
何とも言えない気分になった。
その事について母からは「お兄ちゃんちょっと受験で疲れてたんだよ」と言われた。
兄は暴走族wwとかだったので、当然友達もそんな感じの怖そうな人ばかりで
中学校から徒歩1分ぐらいのウチの家は溜まり場になってました。
私の友達は、「Y・H2の家、怖そうな人がよく居るから行くの怖い」とすら言われました。
男子からは「Y・H2の兄ちゃん暴走族ってホンマ?」とかよく聞かれました。
それに対しては「よく知らない」と答えてたけど。
そんな兄でも、感謝している所は少しある。
まず、銀次の事は可愛がってくれた。(というか、当然の事なんだけどね…)
私が用事あって、どうしても銀次の散歩行けない時は連絡すれば代わりに行ってくれた。
銀次をお風呂に入れる(けっこう大変)のはやってくれた。
銀次が死んでしまった時、私はただただ泣く事しかできなかったけれど
動物霊園に連絡して、銀次のお墓の事とかは兄がしてくれた。(多分お金も払ってくれてる)
最初に引っ越した時、重い荷物はトラックで全部運んでくれた。
血液型で人を判断するのは良くないけれど、AB型だなぁというかもの凄く二面性があると思う。
兄は何故か親戚からはやたらと評判がいい。
盆休みになると、ちゃんと田舎の九州まで行ってお墓参りしてたらしい。
(現在、母のお墓は大阪に移した)
でも過去の事を考えると良い兄だなぁ、とは思えない。
銀次の事は本当に可愛がる”だけ”で散歩行くのは基本私だけだった。


母…亡くなった人の事を悪く書くのは良くないけれど、
子供をペット、所有物扱いする親とか、子供は学校に通わせておけば勝手に育つと思い込んでる親とか
そのへんはちょっと当てはまると思う。
私は小学校の時にほぼ毎日一緒に遊んでいた友達がいる。
自然と仲良くなったのではなく、その子の母とウチの母が仲が良かった。
母からすればその子と私が仲良くしてくれるのは都合が良かったんだと思う。
その子とは普通に仲良くなったけれど、本当にほぼ毎日その子と遊んでいた。
同じ歳だけど、その子は身長が高い方で、私は昔から身長が低くて
本当に姉妹のように育った。(服はその子のお下がりが多かったw)
たまにその子と遊ばない日があると、「何で今日○○ちゃんと遊ばないの?」と言われる。
その子が嫌とかではなく、もっと他の子ともたくさん遊びたかった。
中学入って、その子は運動部に入ってそっちが忙しくなったので自然と遊ばなくなったけど。(別に仲が悪くなったわけではない)
あと、上にも書いたけど過保護すぎた。
そういうのって周りからからかわれる対象になるのにね…。
中学の時、友達同士で交換日記をしてた。
それは勝手に読まれていたらしく、中にはちょっとこの人苦手…的な事を書いてた事もあった。
それをわざわざ先生に伝えられたりして、本当に嫌だった。
その後、日記を読まれないようにと友達同士で考えたのが、
全部ローマ字で文章書けば読む気なくなるかも、という事で
しばらくローマ字で日記書いてやりとりしてたけど、
さすがに面倒くさくなって交換日記は終わった。
あんなに楽しかった交換日記が終わったのは母のせいだと本当に恨んだ。


親戚のおばはん…世の中で一番嫌いな人は誰ですか?と聞かれたら
真っ先にこのおばはんの顔が思い浮かぶ。
母が亡くなり、その後家は荒れていた(色んな意味で)。
父と兄がよく怒鳴り合いの喧嘩をしていた。
それで、私は一時的に父の姉であるその親戚の家に預けられた。
はっきり言って嫌な思い出しかない。
このババァは嫌味を言う事を生き甲斐にしてるんだろうかという人だった。
中学生の私にとっては、その環境+バスと電車を乗り継いで一時間近くかけて通学するのはしんどかった。
それから一時期学校も休みがちになった。
そのババァの旦那と息子はどちらかというと大人しいタイプで
おっちゃんの方は優しい方だったのがせめてもの救い。
ちなみに銀次の散歩は、学校行く前と帰りだけ家に寄って私が行ってた。


銀次…私の唯一の大事な大事な家族。
笑い話に聞こえるかもしれないけど、ぐるぐる丸にはウチの父よりも銀次と会わせたかった。
小さい頃はあまり懐いてくれなかった。母に一番懐いてた。
それでも散歩に行くのは私の役目だった。
最初の頃は兄と交代だったような気がするけど、いつの間にか私だけになった。
母が亡くなり、本当に銀次の面倒見るのが私一人になった。
当時の実家は2階建てで2階で銀次を飼っていた。
父はほぼ2階には上がってこない。ご飯食べるのも別。
洗濯物は自分の分は自分でという感じで、家族というよりただ同じ家に居る人という感じだった。
兄はあまり家に居ない人だった。
毎日毎日朝と夕方散歩した。風邪ひこうが雨降ってようが。
正直面倒くさいと思う事もあった。
でも、銀次にとって面倒見てくれるのはただ私一人だけだった。
最終的に銀次は私に凄く懐いてくれた。
手を広げておいでーって言うと、尻尾振って来てくれる。
犬飼った事ある人ならわかると思うけど、犬って表情あるよね。
笑いかけてくれるのが本当によくわかる。可愛くて仕方なかった。
兄がたまに帰ってくる。一応喜んでそっち行くけど、すぐに私の所に戻ってくる。
その銀次も歳を取り、日に日に弱っていくのが目に見えてきて辛かった。
15年で死んでしまった。
もともと田舎から貰ってきた犬だったけど、そのまま田舎で暮らしていれば
もっと長生きできたかもしれない…と思う。
凄く不謹慎な事書くと、母が亡くなった時の何十倍も銀次が亡くなった時の方が辛かった。
本当に何も食べられず、ただでさえ痩せ体型だったのが体重32kgまで落ちて、
さすがにこれ以上痩せたらヤバイと思って、少しずつでも食べるようになった。


ちなみにぐるぐる丸はウチとは正反対というか、
それが本来の家族というものなのかもしれないけど
家族とは仲が良い。姉とは友達のように仲が良いし、
たまに家族を旅行に連れていったりしてたし。
そんな姿を長年見てきて、このままではいけないなぁと思い
年末だけは実家に帰るようになった。
まぁ、本当に帰る”だけ”で特に会話もないし何もないんだけど。
それでも自分の中では大した進歩です。
親子って切っても切れない縁ですからね…。



何だか読む人にとっては胸糞悪い文章でごめんなさい。
どこかで吐き出したかったんです。
自分のブログ=チラシの裏だと思ってますから。



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