私は、大分県、直入町(長湯村)にて昭和3年、生を受け、私が4歳の時に妹が生まれ両親共,元気で人並みの暮らしを
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して居たと思います。
私は妹が生まれた様子を、少し記憶しております、私が四歳のとき、何人か記
憶にありませんが、女の人が忙しく働いていました、私が仕事の邪魔になるから
と何方か分かりませんが、1銭の銭を貰いました、今思えば、4歳の子供が静か
にはしていない、危なくて仕事が出来ない、当時のお産(特に田舎)は人の命
を取り上げる、大変な仕事と思いました。
しかし四才の男の子から見ると、他所の人が来る事は、嬉しくて日頃やらない悪戯も、他所の人がいれば、親が叱ら
ない??。
早ょう遊びにいっち来なぁ、と言われ其の1銭をしっかり握り下の店迄走った、なにを買ったか、何時頃家に帰った
か記憶にないが、何方か分かりませんが、女の人が2人帰らずに居ました、坊の妹が出来たきぃ、むぞがりゃな(可愛
がりな) と私の頭を撫でながら言った。
父が帰って来た、2人の人がお目でとう、おなごん子じやった、と言った様です、父は何か言いながら、深々と頭を下
げ3人とも、声を立て笑っていた。
(霞の奥に有る様な記憶)でしか有りません。
今思えば妹の取り上げの加勢に、来て貰った人たちと思います。
父は他家より帆足家に婿養子に迎えられたと聞いて居ります、間もなく女の子が産まれ、その後の経過は分かりませ
んが、先妻が、女の子一人残して他界したと聞きました。
残された女の子は、他界した先妻の妹の家に、養女として迎えられたと、後日叔父(父の兄)から聞きました。
其の後、母が後妻として嫁ぎ、私達二人の兄妹を産み、何処にでも有る様な、農家の夫婦で有ったかと思います。
唯、母が妹の出産後の肥立ちが悪く、病弱な体になつたと聞いております、当時家に祖父が居たのを記憶致して居
ります。
後で叔父に聞いた話では、父は近所の人の保証人に起ち、保証倒れをした、その為家屋敷田地田畑を失ったと聞き
ました。
其れに対し帆足家の親族からは、あんな養子を入れたから、この様な事態になった、又他人様からは後ろ指を射さ
れ、笑者にされたと思う。
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其れからの月日の経過は分かりませんが、夜父の大きな声に目を覚まし、茶の
間の障子を開けて見た、下の集落の良く知っている叔父さんが居た、他に知ら
ない男の人が2人と、母も妹を抱いて囲炉裏を囲んで座っていた。
父の顔が恐ろしく見えた、なんごと起きちぃきたか、と怖い顔で言った、母が
直ぐ立ち上がり、しっこ、かと言った、私はうん、と答えたら、母は片手で私の
手を取り川屋(トイレ)までと思ったでしょうが、自分で行くと言い、手を離
し一人で用をたした。
此の記憶も霞の奥にしかない。
私が小学校に上がる前、長湯に転居したのを記憶して居りますが、なで転居しだるを得なかったか、今の私の想
像ですが、婿養子で有りながら他人様の保証に立っには、何か引くに引けない訳が有ったと思います、しかし
結果は、田地田畑が、人手に渡る事になる、帆足家、親族に中傷されるのも、仕方のない事と思います、
又私達一家の居場所迄も、無くした父の心境を、私なりに考えますと、何と表現して良いか、今の私には、唐突として、
文章に書き表す事は出来ません。
第一章を終わります、 誤字脱字を訂正致しました。
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第二章・此の夜が私共一家が、不幸に落ちて行く分け目の夜で有ったと思いす。

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