2006/7/22
不忠者 新作吟味
ストーカーに似た心なり御心にそふたつもりの荒くれたちの
自分へのご褒美つてかいつだつてご褒美ばかり差し上げてゐるさ
0
自分へのご褒美つてかいつだつてご褒美ばかり差し上げてゐるさ

2006/7/22
母の最後の作品 北限
せっかくの機会なので母の最後の作品を紹介しておきたい。病床でノートに書いたり、僕の耳元で詠んだりしたものを書き留めて投稿した。夏休みのことだ。パーキンソン病の薬の副作用で認知症的症状が出て、そのあげくに入院させた病床での作品だ。秋に療養型の病院に移り、最終的にそこで亡くなった。
病舎にて
新谷美恵子
山なみを肩くみながらやってくる春の風なり札幌の夏
昼食の係の声が華やぎて新献立にわく月曜日
死ぬまでの儀式と思う病院の朝夕の食事みとられながら
我念力掻き寄せしごとく娘来る待ちに待ちたる面会日午後
待たざるに病院食の運ばれて親子二人の夕食となる
六月の空青ければ心ぬくし面会の妹まつも楽しも
白き空ペン字すらすら描きたし友への手紙父への手紙
病舎の窓にまだ読めるよと文字を書くガラス戸白し秋長けるかも
病廊を行き交いをする病人の笑声にぎやかに盆休み来る
思い出の母の貝爪われが受け爪切るごとに母を偲びぬ
窓際に蠅が一匹棲んでおり昨日も今日も三日目もまだ
見舞い来るる子の手の熱し点滴のわれに酷暑の辛くもあるか
血液検査わが血は赤く子別れの朝を染めをり入院ベッドに
歌ありて吾の老年ぼうたんの花のごと華やぐ病床にありて
青い光校舎を染めて遊ぶ子ら元気に見ゆる羨ましきかなや
(『北限』75号 2005.11)
0
病舎にて
新谷美恵子
山なみを肩くみながらやってくる春の風なり札幌の夏
昼食の係の声が華やぎて新献立にわく月曜日
死ぬまでの儀式と思う病院の朝夕の食事みとられながら
我念力掻き寄せしごとく娘来る待ちに待ちたる面会日午後
待たざるに病院食の運ばれて親子二人の夕食となる
六月の空青ければ心ぬくし面会の妹まつも楽しも
白き空ペン字すらすら描きたし友への手紙父への手紙
病舎の窓にまだ読めるよと文字を書くガラス戸白し秋長けるかも
病廊を行き交いをする病人の笑声にぎやかに盆休み来る
思い出の母の貝爪われが受け爪切るごとに母を偲びぬ
窓際に蠅が一匹棲んでおり昨日も今日も三日目もまだ
見舞い来るる子の手の熱し点滴のわれに酷暑の辛くもあるか
血液検査わが血は赤く子別れの朝を染めをり入院ベッドに
歌ありて吾の老年ぼうたんの花のごと華やぐ病床にありて
青い光校舎を染めて遊ぶ子ら元気に見ゆる羨ましきかなや
(『北限』75号 2005.11)

2006/7/21
母の死 新作吟味
6月29日深夜、母が亡くなったと義弟(妹の夫)から電話があった。享年79才。僕の短歌の先輩であり、目標でもあった。昨年5月に入院し、年末には胃に穴を開けて食事を摂るようにした。身体は不自由なのでほぼ寝ている生活であった。昨年の夏にはかろうじて短歌を詠んでいた。その歌を母の属していた『北限』誌に掲載したのが絶筆となった。葬儀から初七日を過ぎるまでは何も思いつかなかったが、しばらくたって少しは整理できたのかも。
母の死を報らされし夜から未明まで締切過ぎし原稿を書く
母逝きし日に届きたる『北限』が枕の傍に添へられてをり
『北限』を開けば白き母の手がこつちに寄こせと動きさうなり
亡骸は扉の向かう弟と語れば母がたしなめさうな
淡淡と葬儀屋の指示に従ひて母の葬儀を我が仕切りぬ
妹の名が何処にも出て来ない母を看取りし妹の名が
まだ若き母が遺影として見詰め下手くそな吾の施主を嗤へり
葬式のやうなときしか会はぬから親戚たちの大切な時
抑揚にやや癖のある母の声耳元にあり骨になりても
香典の返しの作法がそれぞれに違ひたり子は散り散りに住む
朝食が終はれば親も子も嫁も薬を飲めり初七日の朝
0
母の死を報らされし夜から未明まで締切過ぎし原稿を書く
母逝きし日に届きたる『北限』が枕の傍に添へられてをり
『北限』を開けば白き母の手がこつちに寄こせと動きさうなり
亡骸は扉の向かう弟と語れば母がたしなめさうな
淡淡と葬儀屋の指示に従ひて母の葬儀を我が仕切りぬ
妹の名が何処にも出て来ない母を看取りし妹の名が
まだ若き母が遺影として見詰め下手くそな吾の施主を嗤へり
葬式のやうなときしか会はぬから親戚たちの大切な時
抑揚にやや癖のある母の声耳元にあり骨になりても
香典の返しの作法がそれぞれに違ひたり子は散り散りに住む
朝食が終はれば親も子も嫁も薬を飲めり初七日の朝
