26日に蒲田教会で廣瀬純さんという龍谷大の先生から聞いた話。廣瀬さんは、もともとフランス文化とくに映像作品研究が専門だが、フランス留学中にメキシコ人留学生と交流をもって、メキシコの市民運動にも興味を持ち、中南米の社会運動も視野に入れて研究されている。
メキシコのチアパスにおける先住民の蜂起がおきたのは1990年代初期だったと思うが、その前史としてカトリックの解放の神学が大きな貢献をしていたというものだった。もともと貧しい人々が多いメキシコの中で、チアパスは先住民の居住地で、最貧地域である。
この地域が、北米自由貿易協定の締結に反対してまっさきに抗議の声を上げ、メキシコの市民運動というだけでなく、一気に反グローバリズム、反新自由主義の国際的市民運動の象徴にもなった。
チアパスの先住民の権利回復運動は、カトリックの中の「解放の神学」に影響を受けてきた運動が基礎となっていると、広瀬さんはいう。
話は1968年ごろにさかのぼり、カトリック教会が1960年代初めに行った第二バチカン公会議の影響を受けて、チアパス地域の担当司教がカトリック教会の改革を打ち出す。若手の司祭(神父)たちが、外からのマルクス主義などの影響を受けて、草の根の活動(おそらくBCCといわれるキリスト教基礎共同体の活動)を始める。
中でも象徴的なのは、農園労働者たちが農園を出て、山岳部に独自の共同体を作り出すことを支援し、それが旧約聖書の出エジプトに例えられ、人々の間で広がり、影響を与えたという。
まあ、このあたりまではフィリピンのネグロス島などで昔聞いた話とそっくりである。だが、フィリピンの「革命」運動が1986年の政変を経て、急速に影響力が衰えたのに比して、チアパスが冷戦後の時代に一気にグローバル化時代の抵抗運動の象徴的存在となった、「その違いはどこにあるのか?」を考えざるを得なかった。
廣瀬さんの話を聞くと、チアパスの運動が今のように発展したのは「助祭」の存在が大きいようだ。助祭とは、司祭(神父)のように神学生として宗教家の訓練を受けた人ではなく、教会で日々の集まりを行うときに司祭(神父)を補助する信徒の代表だが、チアパスではこの助祭に大きな権限を与えた。住民から選ばれて、教会が承認した助祭がチアパスの「伝統」などを大幅に取り入れるなどして、草の根の教会の活動に主導権を持った。
廣瀬さんによれば、伝統をカッコつきにしたのは、そもそも山のなかに新たに作られたコミュニティーだから、本当の伝統なのかどうかはアヤシイのだが、都合のよいものを選択的に取り入れて、改革を行うことが可能になり、そのことがかえって多くの人々に受け入れられるものになったのだという。
廣瀬さんによれば、日本では市民運動に家族ぐるみで参加するなんて考えられないが、チアパスでは運動は家族ぐるみだというのが大きな違いだそうだ。まあ、日本であえて似ているものを探せば、「人間革命」に描かれた創価学会かもしれない、とのこと。
そういえば、池田大作センセイのかつての活動拠点は大森・蒲田地域だった。そんな話を日本基督教団の教会で聞くのも皮肉だが。
しかし、私が1985年ごろから約10年間おつきあいしたフィリピンの人たちは、考えてみれば革命運動敗走期の雰囲気のなかにいた人たちなのかと思うと、改めて感慨深い。
誤解なきように付け加えておけば、昭和初期から戦後10年くらいまで、別に共産党に直接のかかわりがなくてもインテリならば多かれ少なかれ「マルクス主義」の影響を受けていたように、1970〜80年代のフィリピンの知識人は少なからずフィリピン共産党の影響を受けざるを得ない雰囲気にあったということである。
なんだか自由民権運動の敗北期に思春期を迎えた北村透谷みたいな気分になる。もっとも、こちらは思春期をはるかに超えていたし、なにも自分が「武器」を取ったわけでもないから「感慨深い」というに留まり、「挫折」などというのはおこがましい。
部外者の無責任な総括をすれば、フィリピンの「革命運動」の挫折の原因はどうやらそれが、所詮はインテリの運動(マルクス主義的民族民主革命?)に留まったからかもしれない。
フィリピンのネグロス島の進歩的教会活動も、結局は司祭(神父)がかなりの主導権をもっていて、本当の草の根にはとどいていなかったように思う。つまり「助祭」の活動が見えなかったということだ。
貧困から人々を救うには、単に物質的な援助だけでなく、貧困と抑圧からくる「あきらめ」と運命を受動的に受け入れる精神を、自らが自らの力で解き放たなければならない。
メキシコに限らず、中南米で反アメリカ、反グローバリズムの運動が大きな影響力を持っているのは、カトリック教会が社会の末端で民衆の意識改革を長年続けてきた影響が大きいことを改めて知らされた。カトリック教会の強みだか弱みだか分からないが、保守と革新どころか、保守と革命まで内部に抱え込んで、矛盾したまま世界で活動するもう一つの、そして最古の「多国籍企業?」だということか。

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