昔、日本医師会のドンであった武見太郎氏の銀座の診療所に吉田茂首相が通っていた。同時に左派社会党の鈴木茂三郎委員長も「主治医」のもとに通っていた。世の中は、サンフランシスコ講和会議前で、全面講和か片面講和かで国会は大いに議論が紛糾していた時代である。
要するに、対立する二人はきちんと役割分担をしていて、吉田はアメリカが求める再軍備を「物わかりの悪い社会党の左派がいて、国内の反対が強い」とつっぱねていた。二人は、武見太郎を間に立てて、きちんと役割分担を話し合っていたらしい。
アタシにこのことを教えてくれた人は、あれはもう20年くらい前になりますかね、「だから社会党なんて結局ウラで取引してるんだ」というニュアンスで、批判的に語ってくれた。
しかしながら、アタシはそれ、そんなに悪いことかねと思った。すくなくとも裏取引も裏工作もない、いまどきの言葉でいえばガチンコ政治は危なくてしかたないような気がする。
いずれにせよ、かの裏工作がもたらした「平和」のなかでアタシなどは育ったのである。
確かに、あれはいつわりの「平和」めいたところがあったのかもしれない。そして、1991年あたりでもう賞味期限が切れたやり方なのかもしれない。ついにアタシたちはそれを別のやり方に変換できないまま、迷走しているのかもしれない。
だけど、確かに賞味期限が切れてはいるが、あれは賞味期限であった、消費期限ではなかったということのようだ。

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