今回の都知事選では、原発・即ゼロということを争点とすることを都民は都民は選ばなかった。
このことをもって、福島原発の電気を消費し続けてきた東京人の無責任さを云々する意見がある。アタシも半分はそう思うのだが、もう半分はそれも無理はないという気もする。
脱原発派の人々の盲点は、日本の原子力政策は日米原子力協定に拘束されているという事実を見ていないところにありそうに、アタシには思えるのである。
民主党政権のとき、「国民的議論」の結果、2030年代までの原発ゼロの政策が閣議決定される寸前まで行って挫折した。
あれは、脱原発派に言わせれば民主党政権が「根性」がなかったからだという。そうではあるまい。
アメリカ政府から、すでに日本の原発が生み出したプルトニウムをどう処理するのか、その計画はあるのかと言われ、その答えがなかったということと、最終処分地にはしないという合意によって核燃料基地再処理施設を引き受けた青森県から、それではいま預かっている使用済み核廃棄物を各地の原発に返還すると言われて、これまた答えが出せなくなったからである。
日米原子力協定は核燃料サイクル協定ともいわれ、濃縮ウランの使用済燃料の再処理の規制がポイントになっている。核燃料サイクルが認められているのは、核拡散防止条約下の非核国では日本だけである。韓国もそれを認めろと言っているが、認められていない。歴代自民党政府は、この「特権」を死守しようとしてきた。
2018年7月に日米原子力協定は更新時期を迎える。ここから分かるのは、原発にはエネルギー問題という側面と、安全保障という側面がない交ぜになっている。日本が「原発の平和利用」を主張しても、世界では核兵器の予備軍と思われているし、歴代自民党政府も核は持たないがいつでも作れる潜在的能力を持つことが「抑止力」になるという発言を折に触れて明らかにしてきた。
また、ウエスティングハウスやGEの原発部門は日立や東芝が買い取った。アメリカは自らは原発を作らないが、日本に「核の商人」になることを要請している。この分業を一方的に破棄するなどということは許さないという意思表示が陰に陽に明らかにされている。
原発を止めることは、脱原発派を一本化して選挙に勝利することで実現するのであろうか。そうではあるまい。日米の絡み合った糸を一本ずつ解きほぐしていく気長な作業が求められている。しかしながら、それは絶対不可能な困難な道ではない。なぜなら、核燃料サイクル事業は技術的に挫折しつつあるし、原発を再稼働させることは、あきらかに処理しきれないプルトニウムをさらにため込むことにつながるからだ。これは原発推進派にとっての最大の弱みである。

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