母親の介護のために退職するまで、ほぼ7年間日本語学校3校で非常勤講師をしていた。韓国、中国、台湾、ミャンマーなどのアジア系の学生が多かった。10年くらい前までは、日本語を学ぶためというのは建前で、アルバイトを掛け持ちし、自国へ送金するのが目的じゃないかという学生が多かった、と先輩教師から聞いた。しかし、私の印象では今の多くの学生は母国で比較的豊かな家庭の人で、それほどお金に困っているような印象はない。もちろんアルバイトはしているが、生活に極端に困窮している人は少ない。(もちろん皆無ではない)
昔、自分自身がニュージーランドに留学したとき、周辺で見かける日本人学生は、就職したけれど自分の思うような仕事ではなかったので退職した人、あるいは大学受験で挫折した人が多かった。そういう人が日本社会のわずらわしさから逃れるために「英語を学ぶ」という建前を使っていた。
韓国、台湾はもはや先進国。中国は経済成長著しい。経済発展が遅れていたミャンマーでえさも、最近の軍事政権による民衆運動の弾圧の発端は、生活必需品の物価高騰だという。それはつまり、「経済成長」があまりに急速すぎた結果現れた歪みなのだともいえる。なんだ、日本以外はみんな経済成長しているんだ。
しかし、台湾では教育改革の結果、昔は専門学校だった学校も多くは大学に昇格した結果、ただの大卒では就職が難しいらしい。韓国は、日本と同じく若者の仕事は非正規雇用が増えて、就職するには厳しい状況のようだ。中国の若者は、日本の高度経済成長時代の受験地獄を思わせる環境の中で暮らしている。ミャンマー社会の閉塞感は想像に難くない。
どこか屈折している印象が強い学生たち、それが私の日本語教師体験から得た印象だった。でも同僚教師たちも、日本語学校経営者たちも、あまりそんなことは強く感じていた印象がなかった。先生方、経営者、そして学生、3者がバラバラなことを考えている。先生方も、少数の専任教師と多数の時間講師になんとなく溝がある。(でもオトナだから口には出さない・・・・)
お互い、ホンネはよく見えない。なんとも不思議な職場だった。

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