イサベル・オルティスとアニータ・ケレス・ヴィタネンはかつてADBで働き、社会開発の分野で活躍した。ADBは1990年代後半に政策目標を「経済成長」から「貧困削減」にシフトさせたことがあった。しかし、この流れが再び変わろうとしている。
先月、ADBは新しい戦略目標を打ち出した。「ADB長期戦略枠組み2008-2020」には、3つの分野に焦点を当てた方針が示された。それは、包括的経済成長、環境的に持続可能な開発、地域経済統合である。この目標を、民間部門の開発を強調しながら追求して行こうという点に特徴が現れている。すなわち、社会開発のための公共部門による支援を重視するタイプの政策は捨て去られたのである。
「ADBの官僚たちは、高給であり、年金も保障され、充分な健康保険、住宅補助、子供の教育手当てまでついている。それにもかかわらず、自らの機関の政策には、貧困者のための住宅補助や、保健、栄養、児童保護のプログラムは優先順位から外された。ADBは、農地改革、雇用政策、年金などがアジアの人々にとっての課題だとは考えなくなったらしい」。
十年前,ADBは、「貧困のないアジア太平洋地域」というモットーを掲げていた。しかし、今それがどこかへ行ってしまった。今でも18億のアジアの人口のうちの半分以上は、1日2ドル以下で生活しているのである。さらに6億人は1日1ドル以下で生き延びていかなければならないのである。
ADBの新方針には、社会的な保護、住宅、雇用、労働が目標にされなかった。保健、農業は高度に選択された基盤の上に考え直すということのようだ。教育部門は、将来への投資という意味で残されはしたが、生産性が重視される。インフラ整備、環境、地域統合、金融のために社会的部門への介入政策は捨てられたようだ。
10年前のアジア金融危機からの教訓は何だったのか?どうして弱者の社会的保護の重要性は低くしか評価されないのだろうか?
年金については、金融部門の開発の部分で言及されている。ADBは、しかし、民間金融部門の促進を掲げていて、国連や世界労働機関(ILO)や世界銀行やNGOたちが、民間による年金システムは決して貧困層には届かないといっているのに、それは無視している。もしADBが貧困削減に真剣ならば、社会開発、特に受益者による負担金なしの一般的社会保障スキームの配分を増やしているはずだ。そうすれば確実に、貧困を35~50%は減少できる。
なぜADBは社会開発のために多額の資金を使うことを否定しようと躍起になっているのか?
ADBによれば、それはその他の機関の責任分野であるからだという。たしかに国連やNGOがもっぱら社会開発部門で働いてはいるが、彼らの資金は決定的に足りない。ADBがやろうとしているインフラ整備や金融プロジェクトこそ、すでに他の多くの機関が手がけているところだ。ADBはそれに付け加える何か新しいものをもっているのだろうか?
ADBの新戦略が、アジア人口全体の66%にはためにならない代物であることはもはや明らかなのだが、ADB総会では、昨今の食料高騰が招く危機に対するセーフティーネット作りの計画に何か対応をしないのかという声があがった。中期のインフラ整備や農村金融についての対応についても提案があった。
これらは大変結構なことである。だが充分とはいえない。貧困削減のためには、農地改革、農業技術サービス、保健へのアクセスの拡大、負担金なしの年金などが農村で実行されなければならない。
ADBは民間部門への支援を組織運営の中で50%にまで増やそうとしている。加盟何カ国かはこの政策に保留を表明した。これは具体的には直接融資、信用強化、信用保証が含まれるようだ。すなわち、リスクの高い不良債権部門への補助金も含まれるだろうということだ。そして同時に、大企業寄りの規制作りや市場参入障壁の撤廃に踏み出そうとしている。つまり、労働者の権利やその他の社会的権利を守ってきた規制の撤廃や緩和に踏み出そうとしているようなのだ。そのようなものを、最小限の社会的セーフガードだとして、寛容な態度を取るように勧めるのがADBの役割ではないのだろうか?
ADBのメンバー国がこのような方針を撤回させるようにしなければ、貧困層の急を要するニーズをADBは無視したという非難を免れないものと思われる。貧困削減政策こそが人々に直接届く経済的・社会的政策である。成長のみでは貧困の削減には結びつかない。
参照
ADB ignoring needs of the poor
Isabel Ortiz and Anita Kelles Vitanen Japan Times May 20 2008

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