1995年4月から1998年6月まで、ニュージーランドで勉強する機会があった。あちらに行った直後の95年4月、ニュージーランドの国家元首でもあるエリザベス女王がマオリに謝罪するという記事が大きく報道され、5月にニュージーランドを女王が訪れた。
数日前(6月26日)の朝日新聞の記事で、ニュージーランド政府が25日、19世紀にイギリス人らが奪った約17万ヘクタールの森林の所有権を先住民マオリに返還することで合意し、議会で調印した、という記事が小さく出た。それによれば、過去20年間の借地料として2億2300万ニュージーランドドル(約180億円)を支払うという。
返還されるのは北島中央部にある森林地帯で、大半はマツの植林などに使われている。1840年にワイタンギ条約によって英国領になって以来、入植者に不当に安く買いたたかれたり取り上げられたりしたとして、1980年代から返還を求めるマオリと政府との交渉が続いていた。
マオリ側は森林の所有・管理会社を設立し、年1300万ニュージーランドドル(約11億円)の借地料を生活環境の向上などに充てる計画である。今回の和解はツリーロード交渉と呼ばれ、マオリの中の7部族が和解に調印した。7部族は10万人以上になる。同国の先住民への土地返還として最大規模で、政府は「和解に向けた大きな一歩」としている。
過去の土地返還としては、1995年のタイヌイ族に対するものと、1997年のナイタフ族に対するものがあった。私が留学中に接したニュースは、過去の2回の謝罪と補償に関するものだった。
1995年5月タイヌイとの和解は、1億7000万ニュージーランドドル(1億3000万米ドル)の現金と土地がタイヌイ族の申し立てに対する補償として支払われた。申し立ては、ニュージーランド北島中央部ワイカト地方で1860年代以降の土地戦争で接収されたというもの。補償には、戦争とその後の出来事に対する謝罪が含まれており、ニュージーランドの元首であるエリザベス女王が直接に謝罪の言葉を述べた。
1997年11月のナイタフ族との和解は、1億7000万ニュージーランドドル(1億3000万米ドル)を南島のナイタフ族に支払うというものだった。これは1400万ヘクタールの土地の代償として支払われるもので、ニュージーランドの半分以上にも及ぶ広さの土地が「良心に悖る窃盗」的行為によって1840年代に土地売却の名の下で奪われた、とされた。
420万人のニュージーランドの人口のうちマオリは15%を占める。過去3回の補償によって、地方に住むマオリはそれなりの経済的基盤を持てることになるが、19世紀半ば以降に土地を失い、地方から都市へ移り、共同体的人間関係を失ったマオリは依然としてヨーロッパ系移民を祖先に持つニュージーランド人よりも苦しい経済生活を送っている比率が高いのも事実である。また、経済的権益を確保したマオリ組織が、公正な組織の運営と、効率的な経営ができるかどうかが問われてくる。
ちなみに、1840年に署名されたワイタンギ条約は、英語版とマオリ語版があり、英語版に基づいて一般的には、「マオリにイギリスの国籍を与えると同時に、マオリの土地は女王陛下にのみ売ることができる」という内容だと解釈されてきた。これによって、19世紀後半にマオリの土地はその多くが白人の手に渡る。形式的には売却となっているが、実際には武力による威嚇と攻撃もあった。
20世紀になると、マオリは独自の文化を失った貧困な人々として福祉の対象と見られてきた。1935年に初めて政権の座についた労働党は、マオリの長老と特別な関係を維持し、国会に与えられたマオリのための議席は、長く労働党のマオリ議員が占めていた。
しかし同時に、マオリ文化の研究が進むにつれて、ワイタンギ条約のマオリ語版に注目があつまるようになった。英語版で使われた主権(soveregnty)の訳語であるマオリ語のkawanatangaの解釈をめぐって、マオリの土地は売り渡されたのではなく、一時的に貸し付けられただけだという主張もされるようになった。ニュージーランド政府の公式見解は変わらないものの、国際法的には二つの言葉による同じ条約があるときは、現地語版が優先されるということもあり、政府もマオリの主張を少しずつ受け入れるようになる。
1970年代からの先住民の権利回復運動の結果、1975年のワイタンギ条約法によって設立されたワイタンギ裁判所では、ワイタンギ条約の締結によって土地や資源を収奪されたマオリの訴えを審理することになった。
現在もマオリの民族意識、文化意識、権利意識は高まりを見せ、ヨーロッパ系ニュージーランド人が少子化などによって人口が頭打ちなのに比して、国勢調査でのマオリの人口比率は増加している。
オーストラリアのアボリジニーに比してマオリの政治的立場が強いのは、ワイタンギ条約をてこにして自分たちの権益を強く主張できたからだという話を、私は現地で聞いた。もっとも、以上の見解も耳学問の域を出ないので、正確に知りたい方はニュージーランドで刊行されている学術書を参照されたし。
ちなみに私は、反新自由主義の運動家でも知られ、来日されたこともあるジェーン・ケルシー教授(オークランド大学)の"Rolling back the state"(1993 Bridget Williams Books Ltd)や"A Question of Honour?(1990 Allen & Unwin New Zealand Ltd)などはのぞきました。先住民権利回復運動と反新自由主義運動の接点として、興味深いと思います。ジェーン・ケルシーさんは法学部の先生ですが、昔、フィリピン連帯運動もなさっていたらしく、とても情熱的な女性でした。
日本語の本としては、「ニュージーランド先住民 マオリの人権と文化」(ジェラルド・P・マクリン 申ヘボン 平松紘 著 明石書店2000年)があります。
蛇足をひとつ。私はある反天皇制運動の市民活動家からこんなことを聞かれた。
「オーストラリアでは君主制廃止の世論が結構強いが、どうしてニュージーランドはそれほどでもないのか?」
「そうですね。マオリなんかは特に、君主制のままが良いという人が多いみたいですね」。
「エ?マオリは女王が好きなのか?」
「ああ、別に女王さんを敬愛しているわけじゃなくて、ワイタンギ条約を、マオリは女王との約束で土地を一時的に白人に貸していると解釈していますから、君主がいまさらいなくなって、大事な約束が反故にされたらたまらないと考えているんじゃないですかね。」
「・・・・?」
どうもあんまり納得してもらえなかったようでした。まあ、日本の市民運動家ってそんなもんでしょうけど。政治は利害得失で動いているっていうことが分からない人が多いのです。
参照
朝日新聞6月26日 「NZ政府、先住民に土地返還 英国人の奪った森林」
Japan Times 6月26日 “Maori sign huge land deal”

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