7月8日の東京新聞(朝刊)に、「大分県の教員採用をめぐる汚職事件で、二〇〇六年と〇七年の小学校教員採用試験に合格した計八十二人のうち少なくとも三十人について」、収賄の疑いで再逮捕された県教育委員会の義務教育課参事江藤勝由(52)が「県教委上層部の指示で、試験の点数を水増しした」と県警の調べに供述したことが七日、関係者の話で分かった、と出ていた。事件はその後、校長の昇進試験にも不正があったとの報道が付け加わっている。
このニュースを知って、突然30年近く前の記憶が蘇ってきた。私は大学時代、教職課程を取っていた。3年生になって、4年生で行う教育実習に参加できる人間の「足きり」(成績によって教育実習を受講できる学生を選別すること)を行うと大学が言い始めた。
教育実習は、多くが自分の出身高校か中学で、各自が受け入れを依頼したり、あるいは大学の付属高校などで行う。だが、あまりに不勉強な学生が送り込まれて、大学側が後から文句を言わたことがあったらしく、そんなことになったようだ。
合格者と不合格者が学部の事務所の前の掲示板に張り出された。私は、何とか合格した。しかし、その張り紙の前で騒いでいる学生がいた。
「どうしよう!親父に怒られる!」
その学生とは同じ学部でも、学科が違っていたので面識はなかったが、同じ高校から進学したMと彼は友人だったようだ。Mの話によれば、彼は九州の「ある県」の出身で、父親が教員だったので、大学を卒業したら故郷に帰って教員になるようにと言われていたという。
だがそのためには、教員免許を取っていなければならない。ところが、教育実習が受けられないとすれば、すなわち教員免許は取れないことになる。だから、オヤジに怒られるというのだ。
今なら別に驚きもしないが、当時の私には、学校を出たら親が言う通りにおとなしく言われたままの仕事につくとか、親を将来養わなければならないから、なんていう人が多かったことにカルチャーショックを感じていたものだ。(しかし、その教育実習を受け損なった学生も、それならそれでもっとまじめに勉強してればよかったのにねえ、などとおもうけれど)。
そのとき、その学生は口が滑ったのか、「免許さえ取れれば、採用試験はどうでもなるのに・・・」と叫んでいた。へえ、採用試験なんてそんなもんかと、こちらはそのほうに驚いたが、でも、それを聞いていた周りの学生たちは、盛んに彼に同情していた。別に彼が今「問題発言」したとは思っていないようだった。
Mは私に「お前は別に教員になる気もないのに教員実習が受けられるのに、あいつはなりたいのに受けられないんだものなあ」と言った。なんだか、お前のせいで彼がはじき出されたみたいな言われ方をされて、ムッとした。
頭に来たので後で担当の教授に確かめたら、単純に1年生と2年生の成績で平均点以上の学生を選んだだけ、という話だった。別に私のせいでその男が教育実習を受けられなくなったわけではなかった。
それに私は別に教員になる気が全くないのに教職課程を取っていたのではなかった。大学生からすぐに教員になるのじゃあ、視野の狭い人間になるんじゃないかなあ、と以前友人たちにつぶやいていただけだったのだけど・・・。教師に全然なる気がないのに、わざわざ教職課程のために、授業を人より多く取るほどヒマじゃねえやと思ったものだ。正直に自分の気持ちを表すと、思いもかけない誤解を招くと思った。
その後、彼の姿を大学で見かけなくなった。彼がその後どうしたのか、私は知らない。彼が九州の何県の出身だったかは忘れた。大分県か福岡県かどちらかだったような気がするのだ。
その後、教育実習の事前説明会があった。そのとき、まず冒頭に教職課程担当の教授
はこう言った。「地方の県の教員採用試験は受けてもムダですよ。コネがあれば別ですけどね」。
今回の大分県の教員採用試験の汚職事件の報道を聞いて、そんな忘れていた記憶が蘇った。だから教員採用試験でそのくらいのことがあっても、別に私は驚かない。昔から関係者の間では知れ渡っていることじゃなかったのだろうか?少なくとも、新聞記者くらいなら、そんなこと聞いたことないはずはないと思う。
むしろ、今になって大騒ぎになり、事件になり、逮捕者まで出るに至った、その背景のほうを知りたい。でもそういうことは、新聞には出ないのですよね。
私はその後、教育実習も無事に終わり、卒業のときめでたく教員免許はいただいた。しかし、教員採用試験は結局受けなかった。試験問題集を見て、こんなに勉強することがいっぱいあるなら、あと3年くらいかかるなあ、と思って怖気づいたのである。それにワタシの親族には、教員も公務員もいないしなあ。それで、結局はペーパー・ドライバーならぬペーパー・ティーチャーに終わったのである。
いや、その後20数年たってから日本語教育検定試験という日本語教師の資格試験に合格して、さる日本語学校で教えるようになったとき、「あなたを採用したのは、教員免許があるからです。社会科のクラスも持ってください」と言われた。香港やマレーシアの学生は高校卒業までの教育期間が一年短いので、日本の大学を受験するのに1年分の高校の授業をその日本語学校で受ける必要があるのだそうだ。かくして使われなかった教員免許も全くムダということにはならなかったのではあるが。
しかしながら、今はもう学校というところで教えようとは思わない。学生に教えることはまあいい。結構感動的かもしれない。だがそれ以前に、自分には、学校という制度というか、先生たちや学校経営者たち、教育というものの周辺に巣食う人々の世界にときどき垣間見える、あの視野の狭さというか、「啓蒙チック」な雰囲気のイヤラシサにとてもガマンならないものを感じる。
その点では、20歳前後の大学生だった私のある予感は、結構当たっていたように思うのである。(教育業界関係者の方々、気に触ったらゴメンナサイね。ワタシがいい年をして、大人気ない未熟者なだけですから・・・)

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