坂本義和は、冷戦後の世界の状況を「相対化の時代」(岩波新書)と名づけ、相対化の原点に「市民社会」を据えて、これを根拠に国家や市場を相対化し、規制していこうという道を提案した。市民社会の原点は、自立した主体性のある人間を普遍的な価値観にすえるということであり、そういう人間の連帯が相対化の時代を「市民の世紀」とする可能性があると考えるのである。
思えばあのころはそんな楽観的な気分も少し漂っていた。
確かに市民社会の国家からの自立とか、人間の主体の自立は魅力ある論点ではある。だが、疑り深い人間としては、自分は国家からも企業からも、親からも自立して、主体的に判断し、行動しているつもりで、実は後から考えてみたら、誰かの大きな掌の上で踊っていただけだった、などという姿を想像してしまう。
ボランティアの自発性を称揚しながら、それは実は安あがりな福祉行政の補完物だったという話はたくさん聞く。福祉の世界に、自発的な善意で飛び込む若者は、2〜3年で職場を去る。そういう姿を見れば、自発性、主体性の市民社会をそんなに称揚することは、果たして良いことか疑問を持たざるを得ない。
「オリンピックに政治を持ち込むな」というセリフは大手新聞社の社説あたりにもよく出てきそうな決まり文句の一つだろうが、よく考えればこんなナンセンスな話はない。なにもナチスによるベルリンオリンピックを持ち出さなくても、オリンピックはまさに政治そのものなのである。もちろん、「スポーツに政治を持ち込むな」ならば、それは意味がない話ではないと思われるが、「スポーツに政治を持ち込むな」のスポーツがオリンピックにすり替わると、とんでもない欺瞞となる。
1964年の東京オリンピックのときもやはり聖火リレーというものがあったそうだが、アテネ、イスタンブールなどを経て、インドに入ったらとたんに「反日デモ」にあったのだという話をスポーツライターの玉木正之が話していた。そんな話、聞いたことなかった。北京オリンピックの聖火リレー騒ぎを報道するメディアの視線の中に、自らを省みてという視点のないことを改めて感じさせる。何も侵略戦争を反省しなさいというのではなく、毒入りギョーザをいうなら、森永ヒ素ミルク事件だの、カネミ食用油事件なんていうのもありましたね、と言いたいだけである。
東京オリンピックの聖火リレーは、ビルマ、マレーシア、タイ、フィリピン、香港、台湾を経て沖縄に入った。東南アジア諸国では、極めて冷たい視線が浴びせられたらしい。当時の沖縄はもちろん米軍の施政下にあった。ここで日の丸が掲げられ君が代が歌われた。そして東京での最終ランナーは1945年8月6日に広島県で生まれた青年が選らばれた。彼はオリンピック代表選考には漏れた陸上の選手だったが、まさに象徴的意味が背負わされたわけである。これを見ても、政治イベントとして組み立てられたものであることなど、はじめから明らかである。
考えてみれば、オリンピックなどは昔から「自発性」と「善意」と「自らの選択」でスポーツをする人を動員して成り立つ政治イベントだったのである。
東京オリンピックのころは、オリンピックがまだアマチュアの祭典と言われていた。しかしながら、日本のアマチュアスポーツはその実態は企業お抱えスポーツであったのは誰でも知っている。だから、形だけ午前中会社で仕事をするフリをして、本当はずっと練習に明け暮れている社会人スポーツ選手がたくさんいた。
オリンピックにプロ解禁となったのはロスアンゼルス大会からといわれるが、実際は現状を追認したことになり、この大会は同時に企業スポーツと競い合っていたソ連・東欧圏の国家ぐるみスポーツエリート養成方式の崩壊を告げる大会でもあったわけである。玉木によれば、オリンピックにおけるアマチュアリズムの強調というのは、貴族のスポーツ大会に労働者階級が参入してくるのを防ぐ目的があったのだという。まあ、タテマエと偽善が少しはなくなったのはいいことなのかもしれないが。
日本のスポーツ選手は、個別に企業と契約を結んで資金を得ている形が多くなったようで、かつてのように企業に正社員として勤めながら会社のスポーツ部に勤める人は少なくなった。言ってみれば非正規雇用、請負契約化しているということだろう。だがそうなれば、スポーツ選手の間の格差はとてつもなく増大する。それも自己責任だろうか?
沖縄の集団自決に軍が関与していたのを否定したい人々が言うことは、「あれは自発的に行ったことで、軍は関与していない」であり、従軍慰安婦は「自発的」に選択して商行為に従事した女性たちということになる。自発的とか、自立した市民の責任ある判断とか、そういうものは、どうも怪しいニオイがする言葉になった。

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