信田さよ子「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」 春秋社
思春期を過ぎた息子が、母親と仲良く歩いていたらマザコンじゃないかとかいわれるだろう。親離れしない子供、そして子離れしない母、いずれも社会はちょっと病的だとみるだろう。
しかし、これが母と娘なら、「仲がよくてよろしいですね。うらやましい」なんていうことになる。だが、カウンセラーとしての著者に言わせれば、いくつになっても娘に干渉する母親が大問題ということらしい。
姉も妹もいない私などには想像もつかなかったが、この本を読んでみて娘に嫉妬する母とか、娘を手放せない母、30代40代になった娘にスポンサーとしてお金をつぎ込む母(その心は、介護してもらいたい、墓を守ってもらいたい)、娘が親離れしようとすると「あなたのために私の人生はめちゃめちゃになった」と泣きくずれる母、いろいろ出てくる。
ある有名企業に勤める女性ヒカルさんが、「会社を辞めたくなった」と相談に来る。どうも話は会社の問題というよりは、母親との問題のようだった。ヒカルさんは進学校で知られた中高一貫校を卒業。中学に合格すると母は「ママはね、この日を待ってたの。すべてこの日のためにがまんしてきたのよ」。
その時ヒカルさんはまだ、母を喜ばせたことに自分も満足していただけだ。システム化された受験教育と表向き自由を重んじる校風の中で、トップクラスを維持する彼女。進学先を決めるとき、母はまるで人生の先導者であるかのように、ずっとヒカルさんの将来の青写真を描いているように語る。そのころから母に薄気味悪いものを感じ始めたものの、現実の生活は母の献身的な協力なしには立ち行かない。
ヒカルさんはところてんが押し出されるように最高学府T大法学部へ。Y講堂前で彼女と母が並んでピースサインをしている写真が、今も居間に飾ってある。母は、入学式の帰途、すでに司法試験合格を目指すサークルのチラシを何枚かもらってきていた!
さすがにヒカルさんも、生まれて初めての抵抗をする。母をあきらめさせるのに1年を要したが、「うーん、そうねえ、じゃあ国家公務員かしら。財務省とか、そうか雅子様と同じ外務省とか。外交官なんていいわね、ヨーロッパに赴任したらママもいっしょに行っちゃおかな!」。
彼女はいっそ単位を落として中退してやろうかと思ったが、そんなことをしたら母は狂乱状態になることは目に見えている。母に相談せずに登山サークルに入って休みのたびに山登りをするぐらいがせめてもの抵抗・・。就職も「ママ」がインターネットで調べた資料に基づいて会社訪問の計画を立て、母親同伴と言われないよう母はヒカルさんの後から絶妙な距離でついていった。
ヒカルさんは、この母の粘りつくような、執拗なまでの人生への介入から逃れるすべはないのか、とため息をつく。今の会社の立派な社屋を前に母は「ああ、パパの会社とはずいぶん違うわね」という。この会社で決まりなんだろう、とヒカルさんは確信したのだった・・・・。
夜中に目覚めて、ときどき母を殺したくなる自分が怖い。それがカウンセラーに相談にきた理由。あなたなら、ヒカルさんになんていうだろうか?著者によれば、こういう娘の悩みは結構多いのだそうだ。
確かにこうあけすけに書いてしまえば、誰でもこの母親に批判的にはなるだろう。だが、こういう人がもし私の家の隣に住んでいたら、どうだろうか。親が子を殺す、子が親を殺すような事件が起こり、ワイドショーのレポーターが近所の人にインタビューすると「いえ、お母さんも娘さんもとても仲良しで、私なんかにもいつも明るくごあいさつしてくれて・・・。とても信じられません」なんていうことになる。
人が悪い、疑り深いワタクシだって、「娘想いでやさしいお母さんだ」なんて思っちゃうかもしれない。ただ、「お父さん?ああ、あまりお見かけしませんね」ということにはなるかもしれないが。
70年代半ばに結婚したこの母親たちは、恋愛とセックスと結婚の三位一体ロマンチックラブイデオロギーをまともに信じて結婚するが、結婚してしまうと孤立した育児、旧態依然の性別役割分業を基盤にした日常生活。彼女たちは深い絶望感と挫折感の中に生きる。そして娘が彼女の生きがいになる。
母が娘にこんなに入れ込むのも、実は家庭の中で父親の存在が希薄だからだろう。母は心の底では夫への憎しみを募らせているのかもしれない。ヒカルさんが今の会社に入るのが運命だと感じたのは、要するに母親が「この会社なら、パパの会社より立派で、親戚のおじさんたちに聞いても、みんないい会社だと言った」からなのだ。つまりは夫への復讐か?
たとえどんなに、お父さんが大きな収入を家にもたらしていても、家族のために献身的に、会社でイヤなことがあってもじっと耐えているエライ父であっても、そんなことは関係ないのである。「お母さん、あなたは充分幸せじゃありませんか。自分のせいじゃなくて日々の暮らしに困っている人はいっぱいいるんですよ。あなたはあなたの人生を生きてください」、なんて言ってもムダだろう。
不幸なことに(!)、この世代はバブル期に家の資産は結構膨張した。そしてそれがまだ、保たれていたりする。それにくらべて、娘世代は低成長時代の中、確かに母親世代のように家に閉じ込められるわけではなく、社会的に活躍のチャンスには恵まれる。
お母さんにしてみれば、男女雇用機会均等法もなかった時代、大学をオトコたちと一緒に出ても、企業は入口から門を閉ざしていた。娘の会社訪問についていきたい気持ちも分かるというものだ。
しかし、これからの時代、T大法学部卒業生といえども、経済的に成功する割合は少なくなるだろう。経済のパイが全体として大きくなる時代ではないし、みんながそれなりに給料が上がる時代じゃない。あるいは、父母が築いた資産を超えるものを稼ぐことは、ヒカルさんにしてからが難しいかもしれない。
したがって、母はますます「娘のために」お金をつぎ込み、自分の娘への「愛」を再確認する。ヒカルさんが結婚すると言えば、あるいは妨害工作が始まるかもしれない。そして、母と娘はますます逃れられない「愛」の泥沼にはまり込むのである。
人の家庭は表から見たのでは分からない。このお母さんのすべての不幸は、自分のために生きるのでなく、人のために人生を生きているからなのだろう。しかし、さはさりながら、彼女にほかの選択肢はあったのか?

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