かつてローデシアとよばれたジンバブエは、1980年のイギリスから独立し、それ以来ロバート・ムガベ(84歳)が政権を維持してきた。当時、南アフリカはまだアパルトヘイト体制の下にあった中で、白人支配から黒人指導者への政治の転換は、大いに世界の注目を集めたものであった。
現在彼を批判する人々は、2000年から始めた白人所有の大農場の強制的な接収が、経済の基盤となる農業を混乱させたとしている。ムガベは土地改革が貧しい黒人に土地を分配するためのものだと言っていたが、実はその多くが彼の取り巻きの手に渡っているという批判がある。
いずれにせよ、南アフリカ共和国がまださまざまな問題を抱えつつも、政治的に安定し、アフリカの中で経済発展の道を歩んでいるなかで、ジンバブエは対照的に世界の最貧国として取り残され、政治的にも混乱を極めている。
ジンバブエとしては画期的な政治的な取引の結果、野党が政権参加することになった。これまで野党を脅してきた警察とともに、内閣を彼らの監視の下に置くことになった。二人の野党指導者は、残虐な治安とメディア関係の法律を解体することが、まずなにより必要だと強調した。だが、ムガベは、いぜん軍隊を掌握している。
野党の民主変革運動(MDC)の関係者は、野党内に今回の妥協に不満を漏らす人がいることを明らかにした。しかしながら、隣国の南アフリカではジンバブエからの避難民たちが、警戒しながらも、やっと将来に楽観的な見通しが持てるようになってきた雰囲気がある。多くの難民たちは、なにより祖国に帰りたがっている。
二人の野党指導者によると、野党党首のモーガン・ツバンジライ(56歳)は話し合いが暗礁に乗りかかっていたのを打開し、新たに国家評議会を設立してムガベとツバンジライと副党首の二人もそれに参画するという提案をした。ツバンジライが内閣を統括し、ムガベが評議会を仕切ることになった。評議会は内閣の活動の監督者になる。
しかしながら、ムガベには評議会での拒否権はないものとされる。評議会が具体的にどのくらいの役割を担うのかは不透明なままである。そして、ムガベはこの取引についてまだ何も声明は出していない。12日からの話し合いが始まる前には、伝統的な首長たちに向って「野党にはこの国の統治はさせない」と語っていた。
話し合いのもようは、匿名の情報で伝わってきた。メディア関係者は遮断した中で話し合いが行われた。閣議では、MDCが16、ムガベのジンバブエ・アフリカ国家連合愛国戦線(ZANU-PA)が15の議席を配分された。
MDCは8つの副大臣ポストを得た。ZANU-PAは6つであった。一つは分裂した野党系グループのアーサー・ムタンバラが獲得した。
MDCの二人によれば、合意文書は大変に複雑で、冗長なものになっていて、用意するのに週末すべてを費やさなければならなかった。その文書の中には、内務省の傘下の、南部アフリカ諸国で恐れられていた「中央情報組織」が解体され、それに代わって小規模で効率的な国家安全局が設置されることになった。
交渉に関わった南アフリカのムベキ大統領は、「ジンバブエの指導者が、この合意を実行してくれるものと確信している」と述べた。
とにもかくにも、これがもたらす政治的な安定によって、指導者たちはやっとジンバブエの厳しい経済状況について語ることができるようになる。ジンバブエは世界的なインフレと、慢性的な食糧と燃料不足にあえいでいる。
今、南アフリカのヨハネスブルグの中央メソジスト教会には、約1500人のジンバブエ人難民が、今もシェルターで暮らしているのだ。
参照
Zimnabwe deal gives opposition Cabinet control
MDC
gets police, Mugabe retains contol of military, loses veto powers
AP Japan Times Sep 13

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