日本は第二次政界大戦の対米戦で、戦闘による死者よりも、南方でジャングルの中餓死した人の方が多かったという話を聞いたことがある。
アメリカにせよ、ソビエトにせよ、戦争という目的においていかに国家の資源を効率的に戦力に結びつけるかを考えていた。1940年代には、線形計画という手法が開発され、戦時経済における物流や生産管理に使われた。
ある作戦を実行するとき、武器と石油と食糧の3要素を効率的に配分することが求められる。つまり、武器だけがたくさんあっても、石油も食料もなければ、武器は使えず、兵士も餓死してしまう。すべての予算を武器に割り当てしまったら、戦力はゼロになる。
石油と食糧を一単位ずつ上げていけば、確かに戦力は上がる。しかし、結局あっても使われない武器が残る。武器と石油と食糧がどれだけなら戦力が最大になるか、シミュレーションを繰り返して、適正な資源の配分が求められる。
日本軍は、この資源配分の考え方がまるでできていなかった。
しかし、この手法はあくまで戦争という目的に有効だということである。あるいは、企業経営のように目標が容易に設定できる場合には応用が可能であった。
1960年代に、ハンガリーのある経済学者が、分権的社会主義を運営するために、国家経済を18部門からなる生産計画によって運営する実験を行おうとした。中央の計画当局から各生産部門に、生産に必要な価格を申告してもらう。その申告を見て、中央本部は効率の悪い部門を減らし、効率の良い部門に割り当てを増やしていき、全体の生産性が最高になる配分を決定するシミュレーションを行おうとした。
しかしながら、戦争や一企業ならば容易に設定できた目標の設定が何より難しい。結局、プログラミングが膨大になり過ぎて、実験は失敗した。政治家はどの政策が優先されるか、その順位づけをすることを嫌って、あれもこれもやりたがる。
とりあえずの優先順位は決められても、必要なデータはなかなか集まらない。官僚は自分たちの情報を開示したり、仕事の目標を数値化したりすることは極力やりたがらない。正しいデータを出そうというインセンティブが働かない。いきおい、集まったデータの信頼性は低くなる。
平時の、人々の欲望が多様化し始めた社会では、すべての商品知識や情報を単一の場所に集めること自体が不可能になる。それよりは、知識や情報は社会の様々な場所に置いたままにして、知識や情報を所有する人が自分のために利用し、情報の流通度を高める工夫をしたほうがかえって効率的な配分が行われる。
最近、日本の官僚の能力が劣化したのじゃないかと思わせる政策の失敗が多いけれど、ちょと昔の東欧諸国かソビエト末期的な感じがしないでもない。

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