12月6日の夜、ギリシアの首都アテネの学生街で、15歳の少年がパトカーに乗っていた警官に射殺された。この事件がアテネ市内で、2万人を超える若者のデモに発展した。
アテネ市内の21の警察署がデモで包囲され、8日に入る暴動はギリシア全土に広がった。この背景を北沢洋子さんの「ギリシアの反政府デモについて」がよく知らせてくれる。(
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/index.html)
このギリシアの社会運動は、2大政党制による民主主義が先進国で単なる「手続き民主主義」になり、その社会の問題を議論によりあぶりだし、解決の道を探ろうとする真の「民主主義」からますます遠くなっていることを表わしている。これに対して、日本では長期一党優位体制から二大政党へ移行することが民主主義の課題だと思われている。日本の議論は、世界の趨勢から一周遅れの議論なのである。
「警官は武器の携帯をやめろ」というのが、ギリシアでの最初のデモの要求で、とくに機動隊や、少年を射殺した「特別防衛隊」の解体を要求している。もちろんデモが広がるにつれて、政府の経済政策への不満や政権の退陣にまでその要求も広がっている。
デモは道路ばかりでなく多くの高校や大学の建物を占拠し、各地の市役所、そして北部セレス市の商工会議所、ギリシア労働組合総同盟の事務所までも労働者によって占拠された。
銀行やスーパーなども破壊されたその責任はアナキストにある、とマスメディアは報じており、その損害は13億ドルに上るといわれる。だが、人気歌手たちがデモを支持するコンサートを開き、政府の弾圧に抗議するなど、市民の側もデモを支持する人が結構多い。
労働組合総同盟事務所を占拠した労働者たちはゼネストを呼びかけたが、12月10日には、政府、国営銀行、公共運輸、国営放送など公共機関の労働者200万人がその要求に応えて24時間ストを行った。
ギリシアの学生たちは、社会的に優遇されてきた。1973年11月、キャンパスを占拠したアテネ国立工科大学の学生たちに対して、軍が戦車を差し向けて、40人の学生を殺害し、これが当時の軍事政権の崩壊につながった。
以来、警察は大学当局の許可なしには、足を踏み入れることができない。戦車がキャンパスに侵入した11月17日は、ギリシア中の学校の休日となった。
さらに、この11月17日にちなんで、武装マルキスト・グループ「17N」が生まれ、彼らは75年12月、アテネでアメリカのCIA支局長を暗殺。2002年には非合法化されたが、それまで103回に及ぶテロ攻撃を行った。07年1月、米大使館をロケット攻撃もした。
今回のデモ原因となったアテネの学生街には、若者の「解放区」があり、そこにはアテネ国立工科大学があった。80年代、アテネ郊外に移転したのだが、その建物があとに残された。これが若者たちの棲家となり、毎日、デモをしたり、ゴミを燃やしたり、火炎瓶を作ったりしている。
この若者たちに影響力を持っているのは、若いアナキストたちである。しかし、現在、この地区で活動しているアナキストたちは、90年代に高校生であった若者たちである。
ギリシアでは第二次大戦後、1950年に行われた総選挙の結果保守連立政権が発足するが、政局不安定で1951年に選挙制度を最大与党に有利に選挙法を変えた。1952年にはNATOに加盟し、1953年には隣国のユーゴスラビア及びトルコとの間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、外交的にも「安定」がもたらされたとされている。
1950年代の後半、キプロスを巡ってトルコとの対立が激化。だがギリシア自体は順調な経済成長を続け、1951年から1964年の間に国民平均所得はほぼ4倍になり、急速な成長がおきた。
1964年、国王と対立したカラマンリス首相の辞任をきっかけに行われた総選挙で、中道勢力と左派勢力が躍進して、中道連合(EK)を率いるパパンドレウが首相に任命されるが、他党との連立を拒んだパパンドレウは再度総選挙を行い、中道連合(EK)が過半数を獲得した。
パパンドレウ政権は教育制度改革等の内政面で功績を挙げるが、軍の改革に失敗して国王コンスタンティノス2世によって辞任を要求され、国王はアメリカ合衆国の支援によって中道諸派の連合による新政権を確立させようとして、1967年、総選挙を画策した。
しかし、軍部は陸軍将校を中心としてクーデターを起こし、アメリカも軍部の独裁体制を容認。国王の反クーデター行動も失敗して、コンスタンティノス2世は国外に亡命した。
1968年には軍事独裁政権が確立。軍部は国内の批判勢力に対して激しい弾圧を行い、前首相パパンドレウを始めとして多数の著名人を国外に追放した。欧州各国から軍部独裁政権は批判されたが、ギリシアは地勢的にNATOの要であるとしてアメリカが軍事独裁政権を擁護・支援した。
ところが、1970年代に入ってギリシアは国内経済が悪化。軍部の独裁政権に対する国民の不満が増大し、学生により大規模なデモなどの抗議行動がおきる。 軍事独裁政権の首班であったゲオルギオス・パパドプロスは大統領制を導入するなどの「改革」を行うが、国内経済は回復せず国民の抗議行動は収まらなかった。
1973年、学生デモ隊による大学占拠に対して軍は実力で鎮圧を行い、多数の死傷者を出した。これで独裁政権の基盤が揺らぎ、パパドプロスの腹心で秘密警察長官であるディミトリス・イオニアデスがクーデターを起こし、パパドプロス大統領は失脚した。
その後、パパドプロス政権の閣僚であったフェドン・キジキスが名目上の大統領に選ばれて軍部の独裁体制は続く。だが、1974年にギリシアが支援したキプロスでのクーデターが失敗に終わり、海軍と空軍が陸軍と秘密警察に対して態度を硬化。その結果、軍事政権の中核だった陸軍と秘密警察は孤立し、軍部の独裁体制は崩壊してキジキス大統領は国内の諸政治勢力と協議してフランスへ亡命していた元首相カラマンリスに帰国を要請し、帰国したカラマンリスを首相に指名した。
1974年11月11日に行われた軍事政権崩壊後初の選挙の結果、カラマンリス率いる新民主主義党が多数の議席を獲得して与党となり、国民投票により君主制は廃止され共和制となった。
1975年には憲法が再改正され、1977年の選挙の結果左派勢力の伸長があったものの政局の混乱は発生せず、ギリシアの政局は以後「安定化」したとされる。1981年に欧州共同体 (EC) にも加盟した。1981年にはNATOと欧州共同体 (EC) への加盟に批判的だった野党、全ギリシア社会主義運動(PASOK)が選挙の結果過半数を確保して与党となり、社会主義政権が誕生したが、大きな外交政策の変更は行わなかった。
全ギリシア社会主義運動(PASPK)は、1974年9月に設立。 創立者は、アンドレアス・パパンドレウ(元首相 ゲオルギオス・パパンドレウの息子)。 当時の政治目標は「全国独立、主権在民、社会解放、民主プロセス」の4つを掲げていた 。
パパンドレウは経済学者で、当初のPASOKは西欧型社会民主主義政党というよりも、民族主義かつ急進的な社会主義の色彩が強く、当時のイタリア共産党を右寄りと批判するほどだった。パパンドレウはNATO・EECへの脱退・不参加を訴えて選挙キャンペーンを行なったが、政権獲得後は政策を変更した 。
ギリシアの政治はその後、中道右派の新民主主義党(ND)と中道左派の全ギリシア社会主義運動(PASOK)による2大政党が握ってきた。首相・大統領を含めて4分の1世紀にわたってギリシア政治を率いてきたNDのコンスタンティノス・カラマンリスに続いて、アテネ・オリンピック前の04年以来、甥のコスタ・カラマンリス(ND)が首相に就いている。だが現在は野党のPASOKとNDとの議席差はたったの2議席である。1996〜04年までは、コンスタンティノス・シミティス率いるPASOKが政権の座にあった。
1973年の学生運動が軍事政権に対する反対運動であったのに対して、今回の反政府デモは民主的に選挙された政府に対する反乱なので正当性を持たないという見方がある。これに対して、今のギリシアの民主主義はニセモノであり、たいして変わりない2大政党が政権交代しているに過ぎない。腐敗した政治家たちが権力を乱用した結果、若者たちに最大のしわ寄せがきている。だから、反政府デモには正当性があるというのがデモに参加した人びとの考え方である。
ギリシアの反政府デモをはじめたのは、高校生と大学生で、これに彼らの親たちや労働者、移民労働者、アナキストや共産党ML派などの左翼グループ、無党派市民が続いた。これらの運動は、インターネットを通じて情報交換を行う新しいタイプの社会運動である。
グローバルな経済危機の深化にともなって、ギリシアや韓国に見られるような市民の反乱が各地で見られるようになり、ヨーロッパ各国の政治エリート層や国際機関の官僚たちもその動向に頭を悩ませている。
中道保守政権は、これまで国営放送の民営化、年金改革などの新自由主義政策を採ろうとしたが、労組などの反対に会い、教育制度についても、私立の大学を禁じている憲法を修正しようとして野党のPASOKの賛成を得ていた。
だが、学生や教職員のみならず、PASOKの党員たちも含めた反対の声が上がった。そのためPASOKが政策を変え、修正案は通らなかった。ギリシアは高度成長時代にも、政府は教育費を上げず、教育予算については、ギリシアはユーロ圏ではもっと低い。
若者たちは、自分たちはもはや親たちのような生活を送れないという絶望を感じているようだ。ギリシアの失業率は8%だが、若者の失業率は20%と高い。また就職しても、給料は低い。たとえば、EU内では、月に1,000ユーロ(約12万円)がワーキングプアーとされるが、ギリシアでは600ユーロ(約7万2000円)だそうである。
ギリシアでは5人に1人が貧困者といわれ、非正規雇用も多い。ギリシアは、インフレの抑止と財政の健全化というEUの規定をもっとも忠実に守ってきた。
ギリシアの野党PASOKは「社会主義」を名乗っているが、保守のNDとあまり変わらない存在と思われている。共産党(KKE)も議会に議席がある。だが彼らは若者のデモを批判しており、いかに多くの若者がデモに参加していようと、これは「革命」ではなく、真の革命は共産党の指導のもとでの労働者の蜂起しかないという立場である。
議会内には、若者のデモを支持する「急進左翼連合(SYRIZA)」がいるが、これは得票率3%で、6議席をもっているに過ぎない。したがって、「資本主義」を否定するアナキストたちが、若者たちにとって魅力のある存在となっているのである。
日本においては、ようやく総選挙による政権交代がささやかれるようになってきた。しかし、その新たに政権を担うとされる政党は、非正規労働によって一番犠牲を被っている若者や女性からはもっとも支持されていない政党なのである。

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