「私は、80年前に書かれたプロレタリア文学『蟹工船』がベストセラーになるのは、必ずしもワーキング・プアの共感を得ているためだとは考えません。
おそらく書店で『貧困コーナー』にむらがるのは、ホームレスやネットカフェ難民のようなその日の食とねぐらにも困る人たちではなく、やがて自分たちもその下流社会へ落ち込むのではないか、と不安を抱えている層なのだと思います。」(五木寛之「人間の覚悟」)
「帰ってきたヨッパライ」という歌が昔あった。加藤和彦、北山修、はしだのりひこ、の3人の大学生が1960年代後半に作ったフォークグループ、「フォーククルセーダース」の歌である。彼らのヒットソングのなかに「悲しくてやりきれない」というきれいな歌があった。
「帰ってきたヨッパライ」はレコードの回転数をわざと早くしたコミックソングだが、それと違って、「悲しくてやりきれない」はとても真面目でほんとに悲しい歌である。
しかし、「悲しくてやりきれない」のはむしろ最近の若い人たちなのじゃなかろうかなどと思ってしまう。
1960年代の若者なんて、色々と世の中に不満はあろうが、どう見ても昨日より明日の方が豊かになると確信していたような気がする。「ヨッパライ」の浮かれた感じがむしろ良く似合う時代だろう。
本当に悲しくてやりきれなかったら、あんな歌がヒットするだろうか、などと思ったものである。そういえば、「ヨッパライ」の方は京都府立医大生だった北山修が作詞をしたのだが、「悲しくてやりきれない」はサトーハチローの詩に加藤和彦が曲をつけたものだった。
悲しい顔をしている自分に酔っているだけだったのではないだろうか、などと皮肉っぽくおもってしまう。ただし、歌の方はほんとうにいい歌だけどね。
そういえば、池田勇人とか田中角栄なんていう総理大臣たちと比べて安倍晋三とかは、どこか寂しげに見えた。福田康夫も斜に構えているようで、ちょっと孤独な感じがする。佐藤栄作はインケンな嫌な奴という感じはしたが、あまり暗い影は感じなかった。やはりあの時代は世の中全体が躁状態だったのかもしれない。
もっとも、現首相などを見れば「ネクラはダメだ、明るい方がいい、というけれどこんな時代、根拠のない明るさは、単なるバカ」と思っている人も多いのが分かる。
いまや与党の政治家の顔も、どこか鬱の時代を思わせる。あの小泉さんも、郵政解散の前の赤いカーテンをバックにした演説はどこかクラーイ情念を感じた。
小泉さんがあそこまで郵政民営化にこだわったのは、自分が郵政大臣のときに役所の役人に徹底的に無視されて、大臣室で毎日孤独にビデオを見て過ごすしかなかったときの恨みがあったからだと聞いたことがある。
そうだとすれば、その粘着気質というか、恨みの感情の持続力たるやすごいものがある。おそらくその「感情」が普段投票所に行かない人々を投票させたのであろう。
もっとも60年代の「若者」といっても、それは大学生という社会の上層に属する人々の話である。60年代というとすぐに学生運動、全共闘などという人がいるが、あの頃はやっと大学教育が大衆化したとはいえ、まだまだ大学進学率は低かった。
青森から集団就職で東京に来て職を転々とした連続射殺犯の永山則夫は、明治学院大学のニセ学生証を大事に持っていたというが、早稲田や慶応でなくて明治学院大学だというのがなんとなくうら悲しくて、恨みが込められていた。
五木氏は、40年ほど前に雑誌で寺山修司と対談し、インドやタイに見られる最底辺の性の話になったという。つまり、本当に貧しい人たちが一回百円程度で性欲を解消する場で、「恋人を作りたくても、結婚したくてもできずに一生を終えていく」人たちの売春窟がある、という話である。
それが本当に社会の底辺の、結婚したくてもできない人たち(寺山修司はそれを「性的プロレタリアート」と名付けた)のためのものなのか、それとも単にそれは、先進国で性欲が満たされないオトコたちのための売春観光の場を、単に寺山がロマンチックに脚色しただけなのかはよく分からない。
ただ、五木寛之はこんなことを言う。「『蟹工船』の時代は労働条件の劣悪さが問題でしたが、これからの日本では、恋人を持つ、結婚する、家庭を持つという、いままではごく普通だった人生の階段を上がれない人たちがたくさん出てくるはずです。」
五木は、たとえば秋葉原で大量殺傷事件を起こした青年は、経済的プロレタリアートとうよりは、性的プロレタリアートであった可能性が高いと考えている。話はマルクス的というよりもフロイド的になる。(いや、「性と文化の革命」(ライヒ)なんていう本もありましたなあ。)
確かにオトコは年頃になれば嫁をもらうのが当たり前、結婚して、家庭を作り、子供を育てるものだというのはとうに幻想になっているのだが、それを幻想だと言いきれる人は恵まれているのかもしれない。
時代は変わったのに、一時代前の幻想というか価値観を当たり前の「人の道」だなんて思わされているところに、さまざまな悲劇は生ずるのでしょう。金がないなら、1万2千円タダでやるぞ、では問題は解決しない???

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