村上春樹「1Q84」は、青豆というスポーツインストラクターの女性の話と、川奈天吾という予備校の数学講師で小説家志望の30歳の男の話が各章交互に描かれていきます。二人は小学校の頃、お互いが好意を寄せていましたが、一度だけ手を握り合っただけでその後は別れたままで、ついに最後まで交わらないままに終わります。
ただ二人は、天吾が文芸誌の編集者である小松に依頼されてリライトした「ふかえり(深田絵里子)」という17歳の少女の「空気さなぎ」を通じて心と心が結びあうという設定になっています。「ふかえり」は、大学紛争の中から生まれ、有機農業とエコロジーを実践する宗教団体「さきがけ」の指導者(深田保)の娘ということになっています。
ふかえりは、学校教育をほとんど受けていないせいで、本を読む速度が著しく遅い「読字障害(ディスレクシア)」なのですが、人が声を出して読んだ本を耳で理解する能力と物語を語る能力は優れています。
「空気さなぎ」は、山中にある一般社会と隔絶されたコミューンで一匹の盲目の山羊を世話する仕事を与えられた少女が、学校の課題に心を奪われている間に、山羊が死んでしまって古い土蔵に死んだ山羊と10日間入れられる懲罰を受けるというお話です。これは、ふかえりの実体験でした。
夜になると、7人のリトルピープルが山羊の死体を通じて少女の前に現れる。彼らは空気から糸を紡ぎ、繭を作る。彼らは少女にその「空気さなぎ」の作り方を教えました。
ふかえりは、空気さなぎから生まれた自分の分身を残して、コミューンを脱出して父親の友人で、文化人類学者だった戎野の家に逃げ込み、そこで二つ年下の戎野の娘のアザミがふかえりの語ったことを文字にして投稿したということになっています。
ただ、ふかえりがコミューンを脱出して戎野の家に逃げることができたのは、実は父親自身がもしもの時のために、彼女に普通はコミューン内では使わないお金を秘かに渡しておいて、電車の乗り方や批判先である戎野の連絡先まで渡してあったからである点が、興味深いところです。
そもそもが、学生運動のセクトから発した閉鎖的な宗教団体。彼らが宗教団体になったきっかけは、セクト内で武力革命に純化しようとする人々と穏健なエコロジー主義者の対立が深まり、武闘派が起こした警察との衝突から自分たちを守るためではないかとの疑い。
さぞかしこの宗教団体のリーダーは邪悪な存在で、独裁者的と想像するのが一般的な考えでしょうが、これがそうではないことが小説の後半部で明らかになります。
この指導者は最終的に、血も流さずにアイスピックで人を殺せる技術がある青豆の手で殺されるのですが、青豆は彼が邪悪な存在であるというよりは、この閉鎖的集団を本当に支配しているものがリトルピープルたちであるということを理解してしまう、というのが一種のどんでん返しのように思えます。
さらに小説の結末で、川奈天吾は長年対立して義絶状態だった父親の死に立ち会い、一種の父との「和解」をします。
そもそも彼が父と対立したのは、貧しい家庭に生まれて満州に渡り、敗戦で引き揚げてきた中でたまたまNHKの集金人となり、しかも幸運にも正社員となった父が、自分は権力の末端の存在にもかかわらず、父一人、子一人の関係の中で、もろに権力を体現して子供に接していたからだということのようです。
権力の末端にいる人間(リトルピープル)が、実は一番権力の邪悪さを体現してしまう悲劇を村上春樹は描きたかったのかもしれません。
だがあえて言えば、彼の立場は、もう一面では、「下々の者は、いつも嫌な役回りばかりさせられるねえ。悲しいねえ」という気持ちを掻き立てているだけだとも考えられます。
つまり人間が人間の「罪」と向き合うよりは、「癒し」に逃れる傾向を助長するという厳しい見方もできる、ということでしょう。

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