そもそも東京オリンピックが2016年に開催されようがされまいが、はじめから興味もなかったのだが、個人的な考えはともかく、そもそも世論があまり支持していないということが、はっきりしていたから、それが落選という結果につながったことは否めない。
ではなぜ世論の支持がなかったのかといえば、原因は石原慎太郎都知事の存在そのものだろう。
もちろん、東京都の財政負担は大丈夫なのか、とか、そうでなくても失業で先が見えない人が多いのにそんな金があればもっと他にやるべきことがあるだろう、とか、東京は1964年にやったのだから、日本でやるんなら他の都市だろう、とかいろいろ理由はある。
しかし、そもそもが石原都知事のいろいろな政策上の失敗のボロ隠しのためにオリンピックを利用しているんじゃないか、という当初からの思いを払拭するだけの盛り上がりに欠け、どうも「石原の、石原による、石原のための」オリンピックかしらという疑念が最後までついて回ったのではないだろうか?
誘致活動とかいっても、どこかとってつけたような感じが拭えなかったし、どちらかといえばふだん石原都知事に甘いメディアの報道の方も、なんとなく熱が入っていない、おざなりな感じがした。
とってつけたといえば、鳩山さんの英語の演説も、どこか「おつきあい」でやっていますよ、という感じがして、心からのものが感じられないものだった。
まあ、そもそも民主党はオリンピックに批判的なスタンスだったようだったのだから、わざわざコペンハーゲンまで行くというのも、「へえ?そうなんだ」、っていう感じがした。
それに環境に配慮したオリンピックというけど、もし東京で開催となればトライアスロンの選手がお台場の海で泳がされるという話を聞いて、内心選手もかわいそうだね、と思ったものです。
つまり「環境」というのも、どこかとってつけたようなお話に聞こえたということでしょう。

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