酔っ払い運転で天国へ行った酔っ払いは、カミサマに怒られて再び地上に舞い戻るという歌は、あの世にもこの世にも帰属できないことへのいら立ちを暗示していたのではないか。
「受験地獄などという言葉が一方でしきりに語られた時代であった。この世の地獄を逃げ出したところで、天国もまた安住の地ではないというメランコリーこそがこの歌の根底のところにある思想であったように思う。」(「思想としての60年代」桜井哲夫P118)
いうまでもなく、「帰って来たヨッパライ」という歌の話である。
まあ、そんな解釈が正しいかどうかは知らないが、確かに60年代の若者がある種のメランコリーな気分にとらわれていたことは確かなようだ。それはフォーククルセーダースの二枚目のヒット曲「悲しくてやりきれない」によく表現されている。
胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙を流す
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに告げようか (サトウ・ハチロー 作詞 加藤和彦 作曲)
桜井哲夫さんはこの歌が「なぜか記憶に焼き付いて離れない歌」だという。たしかにいい歌である。
「1968年、浪人中にこの歌を聞いて何度タメ息をついただろうか。だいたい、ひとはある時期急に悲劇のヒーロー、ヒロインになったかのように思いこんでしまうものだ。なぜ自分がこんな目にあわなくてはならないのか、といったおおげさな想念にとらわれ、夏の暑いある日、本屋の二階からおりようとして、〈このままころげおちたら、楽だろうな〉などとおもったりするものだ。」
確かにそう思う。だが、ちょっと待て。
例えば、昨年末の年越し派遣村に集まった人たちのように、会社の寮に住み込みで働いていたのに急に金融危機の名の下に、住まいも収入も失ったとする。まさに「なぜ自分がこんな目にあわなくてはならないのか」という気分になるだろう。
あの人たちに、「悲しくてやりきれない」は通じるだろうか。バブル崩壊後の、生まれてからずっと、景気がいいことを知らない人たちがもう20代、30代である。
白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか
最近は、60代以上の人たち向けに作られた、懐かしのフォークソング番組がテレビでも盛んに作られる。「あの人たち」の集まりでは、ごく自然にこの歌は感情を共有するものとして口に出てくる。私なども、その気持ちが分からないではない。
だが、最近になって何かあの歌に陶酔できないものを感じる。
人間、なぜ自分がこんな目にあわなければならないのかと心底思ったら、とても「かなしくて悲しくてとてもやりきれない」とは歌わない気がするのである。
ひょっとして、加藤和彦さんは、自分の音楽が20代の人には通じない、そう思わされるような出来事があって、もはや自分は「懐かしのフォークソング」番組の客層のなかでしか生きられないのかと感じることがあったのかもしれない。もちろん、これは単なる想像であるけれど。

0