上野千鶴子先生の「おひとりさまの老後」(法研 2007年)はベストセラーになった。
この本の要点を一言でいえば、男性よりも平均寿命が長い女性は、夫が先だった後に、「おひとりでお寂しいでしょう」などという世間に向かって、否を突き付けたところだという。
「長いあいだ主婦の門限は、夕食のしたくをする時刻だったが、もう大手をふって夜遊びしても、だれからもなにも言われない。これを昔の人は、『後家楽(ごけらく)』とよんだ。うるさい夫を見送って、後家になりさえすれば、わが世の春」とタンカを切る。
夫に先立たれて、「おさびしいでしょう」なんてとんでもない。これからがいよいよ自分の人生だ、という人は多い。
その点、妻に先立たれた夫はみじめであるケースが多い。
江藤淳さんじゃないが、妻の後を追って自殺、なんていう人もいる。もっとも、あの世で妻は「あら、もう来ちゃったの」なんてがっかりするかもしれない・・・。いえ、別に江藤先生が、というわけじゃありませんが。
それでも、男だって「一人の方が誰にも気兼ねなくていい」という人も結構多いとおもうのだが、世間というものは「お寂しいでしょう」、「お一人では大変でしょう」ととかくに言いたがる。
「いいえ、そばに誰かいるともうそれだけで気疲れしちゃって・・・」なんて言うと、変わりもの扱いされる。
水無田気流さんは、「おひとりさまの老後」に大いに賛同しながらも、大変に残念なところがあった、という。
「それは、上野の意図した『希望』は、結果的にますます女性の『不安』を煽ることに寄与してしまったということである。」(「無頼化する女たち」p184
つまり、「おひとりさま・・・」は、主に団塊世代以上の、専業主婦もしくは有職者だった方々でも結婚していた女性を励ますもの、という事になる。健康で、自分のための空間(住居)が夫の死後にも確保されていれば、おカネは、たとえ自身の収入がなかった専業主婦だったとしても、夫の遺族年金で保障された人々である。
つまりそういう経済基盤があってこその、「後家楽」だというのだ。
団塊世代ではまだ珍しかったであろう、正規雇用としての職を定年までまっとうされた女性で、未婚者の「元祖・負け犬」さんならば、厚生年金が入ってくる。
夫が自営業者などであれば、資産を残してくれていればセーフ。だけど、何もなければ、老後にもらえるものは国民年金しかないかもしれない。
未婚のままで、「非正規雇用」のまま老後を迎えた方々もいるだろう。あるいは結婚はしたが、途中で離婚した人など。すなわち、夫の遺族年金などまったくあてにもならない人々がいる。
「おひとりさまの老後」は、「負け組・負け犬」の女性たちに対する言及が少ない所が、実に「残念なところ」だというのだ。
しかも、専業主婦自体がだんだん希少なものになるであろうこれからの社会を見据えると、若年層を中心にして「おひとりさまの老後」を読むことで、ますます自分の将来が不安になったという人も多くなり、結果としていっそうの保守化傾向が強まったのではないか、と水無田気流さんは言う。
もちろん、上野先生ともあろうお方がそんなことに気が付いていない筈もないから、辻元清美議員との共著「世代間連帯」(岩波新書)ではそういうことにも言及はしている。けれども、まだそれはこれからの政策課題に止まっている。
こうして見ると、「おひとりさまの老後」がベストセラーになったのは、その世間の偏った通念に対する鋭い批判が光ったということと同時に、夫の遺族年金に頼れる女性というピンポイントに絞った論述の分かりやすさがあったからかもしれない。
でもその分かりやすさの代償に、切り捨てしまった残余の部分というものもあるようだ。でもそんなことをグジャグジャ言えば、これはベストセラーにはなり得なかったということのようだ。

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