「教育の職業的意義---若者、学校、社会をつなぐ」(ちくま新書)という本田由紀先生の本を読みました。
「戦後日本の教育学は、政治システムや経済システムに対抗して教育システムの自律性を確保することに力を注ぐあまりに、『無限の発達可能性』『人権としての学習権』といった教育学独自の理念を掲げてきた結果、外部社会や他の学習領域とのつながりを失って自閉してきた。」(p170)
こう著者が書いても、その意味するところがあまりピンとこない人は多いような気がします。
この本のこの一節を読んで、あまり勤勉な大学生ではなかった30年くらい前のワタクシの記憶が甦ってきました。
それは勝田守一先生という東大の教育学者が編者となった「現代教育学入門」とかいう本のことでした。その本がまさに、「無限の発達可能性」とか「人格としての学習権」という考え方を基本にしていたように思います。
その本は、大学一年生のワタクシが受講した教職課程の「教育原理」のテキストでした。
あとで知ったのですが、勝田先生は日教組の講師団も務められたいわゆる進歩的学者のお一人だったようでした。私は、別にその本に反発は覚えませんでした。いや、いわんとしていることは、誠に正しいと思っていました。
日教組といえば反射的にマルクス主義だと考える、一部の粗雑なアタマの持ち主の方々のためにいておけば、この教育学は、きわめて「人格主義」的な色彩が強いものであります。
しかし、ワタシなんぞには、それゆえになんだか現在(その当時)の中学・高校の教育現場(校内暴力だの、「三無主義」だの)からみれば、ちょっと浮世離れしているんじゃなだろうかという気持ちがあったことは否めませんでした。
おそらく、私が「浮世離れしている」と感じた気持ちを、本田さんは「自閉してきた」と、よりきびしく評価したのに違いありません。
自身も教育学者である本田先生が、戦後の日本の教育学は自閉していると批判するのは、別に思想が保守的で、日教組が日本の教育をダメにしたといいたいからではありません。
それはひとえに、子どもの無限の発達可能性が保障されるための、人権としての学習権を守るとしながら、ついには「学校教育というものが職業的意義」があるかないかで価値を計られることそのものに反対し、職業的意義から切り離された「教育」が外部社会とのつながりを失って、自閉してしまったからです。
教育は教育として価値がある。教育と仕事を安易に結びつけることは、危険だし堕落だと考える人達は確かにまだいるんでしょう。
どうしてそんなことになったのか。本田さんがあるシンポジウムで教育には教育的意義が必要だし、専門高校のように、高校時代に職業教育を受けることは大切と語ったら、後から反発する意見が、アンケートの中に書いた人がいたそうです。
すなわち、専門高校では教師が学生をとにかく就職しやすくするために、採用者である経営者に気に入られる従順を身につけよと、「調教」しようとしている。専門科目でも、学生を「調教」せんがために、さまざまな検定試験を受験させようと煽り立てる・・・。
社会問題を考えるとか、反戦平和などとかは、アタマの好い「別の人」が考えるべきことで、自らは単なる「労働力」であることを刷りこんでいく・・・。それが職業専門科の高校の実態だ、という感想だったそうです。
そうなのです。私の狭い経験から見ても、職業科の高校とか、いわゆる偏差値は低いが「就職率」はわりと良いという私立の高校では、とにかく学生に「従順であれ」、「上の人に愛される人になれ」、「屁理屈は言うな」という精神を植え付けていくものだという印象がありました。
この本田さんの本には、戦後日本が高度経済成長していく過程の1959年代後半や1960年代に、政府の側は職業科の高校を増やそうとしましたが、高校進学率が上がっていく中で、親も子ども自身も、そして進学指導する先生も、普通高校への進学が第一だという希望がどんどん増えていったことが説明されています。
そして政府や地方自治体も、1970年代になると普通高校の増設を始めます。親や子どもの「ニーズ」には逆らえなかったわけでしょう。職業高校の「不自由さ」、「窮屈さ」を嫌って、「普通科」の自由を選択したわけです。
親は、たとえ自分が職業科の出身だったとしても、子どもには普通科を選ばせて、できれば大学にも行かせたいと思うようになりました。そして、できればサラリーマンになり、女の子はサラリーマンの妻(専業主婦)になる。
高度経済成長の時代は、製造業の大企業であっても、工場現場のいわゆるブルーカラーのとして雇われた人たちを、いわゆる事務職の正社員並みの扱いにだんだん近づけることが労務管理として推進されました。
だから、私たちやさらに上の世代である団塊のひとたちにも、「職業科」へ行けとなんて言われることは、お前はレベルが低いと言われたに等しく感じて、ムッとする人が多いのです。
すなわち、日本の高度経済成長は日本の高校教育を「普通科」至上主義にして、ついに教育と職業を結ぶ絆も切れてしまいました。財界や政府が進める、もっと現場で使える、会社の方針に忠実で、読み書き計算がきちんとできる子を育てろという不当な干渉から、教育の純粋な価値を守らなければならないという戦後教育学の理念は、高度成長のなかで、奇妙に変質を遂げてしまったわけです。
そこにはたぶん、思想と思想が社会の中でどう解釈され、運用されるかということの間に起こる皮肉な現象があったようです。
本田さんは、教育には「職業的意義」があるべきだと言いますが、そこには「適応」と「抵抗」の方策の二つの要素がなければならないと説いています。これまでの日本の学校における「職業教育」は、「適応」にばかり力点が置かれてきました。だからこそ、職業科高校への嫌悪感が生まれたわけです。
教育の職業的意義が生かされるには、本田さんによれば、はたらく人が仕事について感じる「やりがい」と「しんどさ」を伝えると同時に、そのしんどさを職場や、同じ仕事、同じ地域のなかまと共同して改善したり、労働法や社会保障のしくみなどを知ったりすることを含んでいます。
つまり、これまでの職業教育に欠如していた、理不尽な職場の出来事に「抵抗」するための方策が社会に出る前の若者に伝えられること、それこそが遮断された学校と仕事の間を結ぶ経路を作り出し、究極的には社会を安定化することにつながると考えているわけです。
なるほど、私が感じる「学校」というもののイヤラシさって、つまり表向きのカリキュラムの「人格主義」と、ウラのカリキュラムとしての「調教」を主にした「職業教育」、就職指導、最近はやりのキャリア教育から大学生の就活まで、のあの二重構造にあったんだということが、よく分かる本でした。

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