「だが一点だけ気になるのは、勝間(和代)も香山(リカ)も、自分たちが上流階級である部分を、括弧に入れて語っている点である。だから多くの普通の読者が、自分に不足を感じてしまうとすれば、むしろあたりまえとも言える。」(「無頼化する女たち」水無田気流著 洋泉社 p169)
香山リカさんの勝間和代さん批判は、勝間さんに代表される今の社会の「成功者」のモデルを追いかけるがゆえに新たな「悩み」を抱えてしまうのが、圧倒的に若い女性であり、それらの人々は、社会の問題点をではなく、ひたすら自分と言う人間の改善点を考えてしまうという点にあった。
だから香山さんは、「勝間和代を目指さない」という批判の矢を放ったわけである。(「しがみつかない生き方 『ふつうの幸せ』を手に入れる10のルール」 幻冬社新書)
でも、ちょっと待った。
あえて「しがみつかない」生き方なんて選択できるのは、香山さんが医者の娘で、高校生のころから単身上京して医学部を目指した、「どう考えても上流階級の優秀なお嬢様」だったからじゃないの、という気持ちはどうも拭えない。
まあもちろん、中学から慶応の付属校出身でも、19歳で公認会計士試験を突破することは難しいだろうし、医学部にきちんと合格して、精神科医のキャリアを積むことも、単に環境が整っているだけじゃできないことだということは分かっているという上でのオハナシである。
水無田気流さんのこの本は、「効率と所得アップ」の勝間と「ほどほどの幸せ」の香山の対決などより、今の日本は「しがみつかざるを得ない」けれど、勝間和代には到底なれない人が大多数だということなのであるということを指摘している。
しかしながら、その「多数派」は決して勝間さんと香山さんは、自分とは一段上の階層にいるのだということを直視しようとはしない。すべては経済的下部構造ではなく、上部構造の問題に還元される。
まあ、下部構造を直視したら、とてもクラーくなるだけだから、人はあえて見たくない現実は見ないということなんだろう。
かつて、酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」(講談社)という本が売れましたが、「未婚、子なし、30代以上の女性」を負け犬と自虐的に書いたこの本は、「多くの読者が、酒井の文章の真骨頂であるユーモアのレトリックを読み取らず」、自分は負け犬と決めつけられて不愉快だ、とか、人間を勝手な基準で勝ち負けに分類するな、と本気でかなり多くの人たちを怒らせたり、コーフンさせたりもしたようだ、と水無田気流さんは指摘します。
つまり、本の世界に限らず、あまりに自分に直接利益があるかないかでしか物事を評価できず、財布のヒモも緩めないという、遊びやユーモアの感覚もなくなっている今時の社会を表すものだということのようです。
だけど、酒井順子さんの本がいう「負け犬」は、確かに結婚はできないけれど、それなりに自分の経済的基盤がしっかりしている人、すなわち、「勝ち組・負け犬」のことで、「勝ち組・勝ち犬」対「勝ち組・負け犬」の世界しか描いていないということです。
酒井さんは、「勝ち組み・負け犬」を自虐的に描いた後、「オスの負け犬」についていろいろ分類もしていますが、親に頼ってなんとか貧困に陥るのを免れている「パラサイト負け犬」や、リストラや派遣切りで、職も住居も一気に失う「負け組・負け犬」については言及しない、と水無田気流さんは指摘します。
マジョリティーは、パラサイト負け犬、負け組・負け犬であるのですが、その人たちがホントは自分たちとは無縁な世界であるはずの、「勝間vs香山」とか、「勝ち組・勝ち犬vs勝ち組・負け犬」の争いを、まるで自分のことであるかのように見つめている。そして、そういう本しか売れないわけです。
「負け組・負け犬」の話を書いた本は、まあ少なくともベストセラーにはなりませんでしょうねえ・・・。

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