「そして八紘一宇語の支配する中、『勇ましく』と表現される雰囲気の中で軍隊に入ってみたら、そこは言葉の死んだ世界であることを知らされた。『なぜ』と質問すれば返事の代わりに、鉄拳がとんでくるという世界では、どのような意味でも言葉が生きる道はない。あるのは命令と服従だけである。このように言葉が死んだ『真空地帯』で、1年8カ月生活した時、言葉を理解し、言葉を使う能力を失った自分を発見した。それは8月15日、ポツダム宣言を受諾して敗戦となった時、小隊長としてポツダム宣言を理解し、兵隊に説明する能力を自分が持っていないことに気づいたからである。復員してから自分が考える手段としての言葉を取り戻すには、なおしばらく時間が必要だった。」
(石田雄「誰もが人間らしく生きられる世界をめざして 組織と言葉を人間の手にとりもどそう」p100〜101唯学書房)
石田さんには、「日本の政治と言葉(上)(下)」(東京大学出版会1989年)という著書もあるが、この最新の本は、「年越し派遣村」などの市民運動に刺激されて書かれたものであると同時に、丸山真男さんに師事した研究者としての仕事を一般にも分かりやすく解説する本にもなっている。
丸山真男さんは、自分が現在の政治や社会について書いた本や論文は政治思想史家としての本店での営業ではなく、夜店の類であると冗談めかして発言したが、それはおそらく、大学紛争で全共闘との対立に追い込まれた後に、いわゆる「市民」運動的な世界と離れて狭い「日本政治思想史研究」という専門のなかにひきこもったことへの一種のいいわけめいたものの言い方だったに違いない。
石田さんは、丸山政治学が1968年あたりで歩みを止めた後を引き継いで研究を続けたであろうことが、この本からは感じとれる。
「敗戦後、人々は言葉を取り戻す機会に恵まれたはずである。しかし、多くの人がもう一度、言葉を想像する主体になったかといえば、それは疑わしい。中井正一のように、人間が言葉を想像する力を回復すべきだと意識的に努力した人もいたが、それはむしろ少数の例外だった。多くの人たちは対話の中で作られ、発展させられる言葉の機能を取り戻すよりは、マス・メディアで使われる言葉が、心情的な画一化や社会的な同調性を生み出す方向で作用するという現実に直面することになった。」(P111~112)
メディアの主流が新聞などからテレビに映ると、映像の支配によって、言葉の役割そのものも変化する。映像中心のテレビでは、言葉は映像に付随して、感情を表出し、感情に訴える役割を担い、対話の機能はますます小さくなる。
近年の小泉政権の下ではさらにこのようなテレビ政治現象が進行した。「すなわち、テレビに現れる言葉は、感情に訴える手段として以上の意味を持たず、そのような言葉が表で使われる裏では、情け無用の現実が、経済的組織効率の鉄則に従って、進められる。」(P113)
小泉構造改革以後の社会は、自己責任論という新自由主義に基づく考え方が浸透し、多くの人の心に「自己責任論」が内面化された。そのため、広く社会的敗者が社会に対して問いかけをする言葉を奪われることになった。
「自己責任論」により、現代の社会の矛盾を最も強く感じている人々は沈黙を強いられ、「沈黙の螺旋」といわれる状態が始まる。最も深く問題を見たり聞いたりしている人々が、問いかける力を喪失したため、社会の中の最重要問題が見過ごされる。
民主主義は、さして重要でもない問題をさも大問題であるかのように論じるニュース報道に終始する。そのような報道は、しだいに人々から見捨てられる。
ガヤトリア・スピヴァックが「サバルタンは語ることができるか」と言い、インドの最下層者が語ることができないのは、その言葉が聞かれることがないからだと述べたが、先進国と言われる欧米や日本においても、最下層者は自らの選択によって自分の窮状は導かれたと思いこみ、自分たちには不満の言葉を口にする資格はないという強い思いを内面化させる。
そして、最下層と上層階級の中間にいる人の中で、問題をある程度認識する人々も、自分たちが少数意見として差別されることを恐れ、やはり沈黙する。
そして、語られない問題は社会的に存在しない問題として、民主主義の場では討議の議題にも上らない。
著者は、現代の日本に貧困問題などないという多くの人の思いこみを打ち破り、貧困を「可視化」した年越し派遣村の運動に強く共鳴するが、同時にそれによってもさらに見られない問題があることを指摘する。
「派遣村」はによっては、朝鮮人も女も救われることはないし、日本人の「男」が追い詰められたからこそ問題になった、という辛淑玉さんに対して石田さんは、あなたが「朝まで生テレビ」に出演しても、あの番組は意味ある対話をしているのではなく、感覚的な自己表出として言葉を使って、それをバトルとしてショ―にしている感じがした、と問いかける。
辛さんは、もちろんあれはショーに過ぎないと認める。そしてこう応答する。
「私はあのショーの中で、さすがに辟易したことがあって、『もういやだ。出るのを止めよう』と思ったのです。出るたびに嫌がらせが来るし。でもその時に友人に、『黙っているだけでもいいからそこにいろ。あんたが渋い顔をするだけでも映像として伝わるものがあるから」と言われて出続けました。映像は、言葉以外の情報を伝えるツールなのです。だから逆に、テレビは言葉が空虚です。そういうものです。」
この辛淑玉さんの言葉こそが、今の日本の言語状況を端的に語っているように思えた。

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