高橋洋一・須田慎一郎著「偽りの政権交代 財務省に乗っ取られた日本の悲劇」(講談社)で高橋洋一サンは小泉政権にはA面とB面があったと述べている。
世の中には、小泉・竹中路線=新自由主義=格差拡大という図式が広まっていて、福田、麻生政権でその考えたが修正され、民主党政権になってそれが完全に否定されたという理解が一般的である。
だが、高橋サンによれば、A面の竹中平蔵大臣がやった改革は、不良債権処理と郵政民営化だけ。B面は飯島勲秘書官と財務省から来た総理秘書官の丹後泰健サンがコンビを組んで、後期高齢者医療制度や年間2200億円の社会保障費のカットなどを行ったのだと言う。
竹中氏は財務省をはじめ、霞が関と対立するが、飯島・丹後のB面はむしろ霞が関を懐柔する方だったという。
「竹中ラインと飯島・丹後ラインは同じ小泉政権のエンジンではあったが、交わることはほとんどなかった。私(高橋)と丹後さんは、外で会ってお互いの腹を探り合いながら馬鹿話をすることがたまにはあっても、官邸では会わなかった。」
竹中陣営にいる人は、飯島・丹後ラインが今何をしているのか、全く分からなかったのだという。
高橋サンによれば、悪名の高い社会保障費カットなどの政策は、自民党側から聞かされて、むしろ止めさせようとしたぐらいだ、という。
高橋サンは、雇用保険料などの労働保険特別会計にはストックベースで5兆円、フローベースでも繰越金が8000億円もあるのに、一般会計から毎年2000億円も繰り入れているのだから、社会保障費2200億円カットなんて理解できないと自民党の政策調査会にねじ込んだくらいだ、と言う。
要するに、小泉政権の負の遺産である社会保障分野を仕切っていたのは飯島・丹後ラインであるという。厚生省関係で竹中ラインから提案した社会保障個人勘定などの法案はまったく受け入れられなかった、という。
小泉氏自身からして、厚労省関係には竹中氏に手を触れさせようとしなかったのだ、という。
「しかし、今更竹中さんも自分は関係ないなどとはいえない。竹中さんの性格からいっても小泉構造改革がおかしいといわれれば、自分のやったことでなくても逃げていると非難されたくないので受けて立つ。それが、誤解を与えているようだ。」
この高橋サンの弁明がホントかどうか、ワタシは知らない。なんだか自己弁護めいて聞こえなくはないし、竹中氏をよく描きすぎているような気もする。同時に、「小泉・竹中路線」という言い方も、あまりに単純すぎる気もする。
しかし、問題は今の民主党政権と霞が関の関係である。
この丹後健一郎さんという人は、政権交代が実現する2か月前の2009年6月末に財務事務次官に就任した。
このとき勇退した杉本和行次官は、丹後氏と同期入省で、同期から次官は一人という不文律が破られる異例の人事となった。
なぜこんなことを財務省が行ったのかといえば、小泉政権の下で秘書官を務めた丹後氏をあらかじめ次官ポストにつけておいて、選挙で民主党政権ができた時に民主党政権の要請に応じて首をさし出し、民主党に恭順の意を示して生き延びようという作戦に出たのだという。
そして、民主党も選挙前はいったん各省次官全員にいったん辞表を提出させるという案まで出していたものの、政権についてみれば、結局各省庁の次官の首までは要求せず、財務省の歩み寄りをむしろ歓迎したらしい。
須田慎一郎さんによれば、一般国民は丹後氏なんぞ誰だか知らないが、竹中氏は知っている。小泉改革といえば竹中平蔵というイメージがすっかり出来上がっている。
経済がどんなに悪化して、失業者が大量に出ても、それはもとをただせば竹中改革のせいだという話にしておけば、財務省にとっても、民主党にとってもこれは好都合である。
竹中一派にすべての責任をおっかぶせ、民主党を籠絡した財務省は、ノーパンしゃぶしゃぶ事件以来の風当たりの強さを乗り越えて、再び今また、わが世の春を迎えつつあるのだというのが、この本の見立てである。
これは、財務省出身でありながら竹中派として放逐され、スキャンダルに巻き込まれた高橋サンの恨み節なのかどうかは、よく分からない。その可能性を幾分差し引いたとして、しかし、まあ伏魔殿っていうものは確かにあるんでしょうね、と思うのである。

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