その昔、開発経済学の基礎ということで習ったのがアーサー・ルイスという人の理論であります。
発展途上国は、農村に過剰労働力があふれているが、資本が不足している。そこで資本を投入して労働集約的な工業に投入すれば、安い労働力が工業部門に絶えず移動するので、それが高い経済成長の源泉になるというものである。
逆に言えば、農村の過剰労働力が底をつけば、賃金が上昇し始め、少なくとも労働集約的な工業部門が主導する形では経済成長は望めなくなるということであります。
農村の余剰労働力が枯渇して、工場労働者が供給されなくなる時点を、「ルイスの転換点」と呼ぶのだそうです。
21日の日経新聞には、中国がこの「ルイスの転換点」を迎えたという記事が出ていました。
「日本でも60年代に農村の余剰労働力が枯渇し、賃金が上昇を始めた。最近の中国も労働争議が頻発し、賃金上昇に拍車がかかっている。中国人民銀行(中央銀行)の金融政策委員を務める李稲葵・清華大学教授は『中国の農村の余剰労働力はほぼ底をついたので、賃金の上昇は長期的な趨勢だ』と述べ、ルイスの転換点を迎えたとの認識を示す。」
それにしても、時代の流れは早すぎる気がしないでもありません。まだまだ中国の農村には数億の労働力がいるはずですが?
中国政府は農業の効率化を進めれば労働力はまだまだ供給できると踏んでいたようです。
「中国共産党は08年秋の中央委員会第3回全体会議(三中全会)で、農地の集約化を目指す施策とともに、中小都市で安定した職についている農民工に都市戸籍を与える方針を打ち出した。農村の労働力を都市に定着させ都市部の労働不足に備えようとの措置だった。だが金融危機の影響で失業者の増加を怖れた党・政府は改革を事実上、凍結してしまった。」
まあ、日本の農業基本法(1961年)も農業の効率化とか、農地の集約化による生産性の向上を目指しましたが、挫折したことを思えば、この種の政府や党の思惑どおりには農民が動いてくれないだろうことは、想像がつきます。
政府は一方で、農村部への公共事業を拡大しているらしいので、日本の1060年代末から70年代にかけてがそうであったように、都市部への出稼ぎなどではなく、身近な公共事業に職を求める人が増えているのかもしれません。
一方で、中国では大学卒業者が毎年600万人以上職を求めているのに、およそ2割の人が就職できないことが問題になっています。工業部門では人手不足の傾向が出ているのですが、高学歴の求職者たちは、賃金の安い製造業を嫌って、高賃金のサービス業を志向しています。
ですが、まだそれら大卒者の需要に見合うだけのサービス業が育っていない、ということです。
どうも安価な中国製品という時代は、終わろうとしてることだけは確かなようです。
さらにこんな話も伝わっています。
アメリカ政府は、市場原理に基づく為替相場が不可欠だといって、人民元の切り上げや為替制度の改革が必要だとの意向をにじませています。
つまり、かつてプラザ合意で日本に対して、半ば強引に「日本円を強く」させたようなことを、もう少し穏やかではあるが、中国に求めているということでしょう。
日本はプラザ合意の85年以降、経済混迷の時代に突入し、バブル経済に陥っていきました。
問題は、日本を円高方向に導いた結果としてアメリカの経済が回復したのかということですが、そうはいきませんでした。
ここで、中国ではいま人件費が上昇しているということに注目してみますと、果たして人民元がこれ以上高騰する余地があるのかと思います。
無理に人民元を切り上げてしまって、世界の生産基地として機能している中国の力がどうなるかは、注意深く見る必要があるでしょう。
はっきりいえることは、別に中国人民元を切り上げさせて、中国の競争力を弱めたところで、アメリカからかつて流出したところの産業がアメリカに戻ってくることはないということです。
かつて日本円が高騰した後も、アメリカから流出した産業がアメリカに戻ることはありませんでした。アメリカ企業は、さらに中国やベトナムなどの国に移動しただけでした。
人民元を「正常化」し、切り上げさせればアメリカの経済や産業が競争力を復活させられるというのは、よく考えれば錯覚なのですが、政治はそういう不合理な錯覚に囚われるもののようです。
20世紀前半に、イギリス経済(というか大英帝国)の衰退を金本位制を復活させれば食い止められるという幻想に囚われて、結局大恐慌をもたらしたことがありました。
国際経済のことは分かりませんが、こんな予測をする人もいるようです。
今現在、中国人民元を完全フロート制度に移行したら、「人民元は安すぎる」という認識を持っている人が多い現状で、一気に「元高」に振れる。
「1ドル4元、5元」というレベルまで行くと、今度は中国の実体経済がそこまで強くないと判明し、そこから今度は逆に『空売り』する人が続出する。
結果として、中国人民元は乱高下するようになる。
その影響は中国だけに留まらず、現在のところで貿易相手国として「中国が第1位」という多くの国にも影響が及ぶ。
中国政府は、アメリカのそういう意向をなんとかはぐらかそうとしているように見える。だが、「軟着陸」は可能だろうか。
少なくとも、中国経済が混乱して「ザマーミロ」となって溜飲を下げた所で、日本経済が再び「起ちあがる」ことにはならないということでしょうね。

0