ワタクシは神奈川県在住であります。したがいまして、千葉景子法務大臣のお名前は昔から存じておりました。
ワタクシは死刑は廃止すべきだと考えています。理由は簡単で、裁判も警察や検察の取り調べも、間違えることはあり得るのだからである。
それに、死刑のない国に三年生活したことがあります。かの国(ニュージーランド)でもかなり理不尽な衝動殺人事件があったりしましたが、どんな保守的な人も、いまさら死刑を復活しろだのということは言いだしません。
死刑に殺人事件の抑止力などないことは明らかです。だいたい、多くの殺人事件は冷静さを失った人が犯すものですから。冷静さを失った人に「抑止力」は働かないのです。
もちろん、ワタクシといえども自分の知り合いが殺されたら、犯人も死んで欲しいと思うでしょう。しかし、この国では殺された人に直接の面識にない人間が、マスメディアの扇情的報道でにわかに一億総「正義漢」に変身し、アイツを殺せと叫び始めます。
その種の薄っぺらい「正義」には、たまらなく嫌悪感を覚えます。
そんな簡単に「遺族の気持ちが分かる」ものでしょうか?むしろ周りにいる他人こそは、冷静に対処して、激情にかられやすい被害者の真の利益を守るべきと思います。「所詮他人のアンタが一緒になって激してどうすんの?」と思います。
まあそんな感じで、ワタクシは「死刑廃止」論者なのでありますが、にもかかわらず、ワタクシは先の参議院選挙で千葉大臣に投票する気にはなりませんでした。
もちろん、政権交代の熱気があった昨年の総選挙でさえ、民主党に入れなかったワタクシなので、今回も民主党の候補に入れなくても別に不思議はないのかもしれません。
ハトヤマさんが普天間基地問題で「少なくとも県外」と言ったとき、「オイオイ大丈夫かね」と思ったものです。
誤解なきように。ワタクシは、「少なくとも県外」になれば結構だと思っている人間です。民主党のマニフェストは、字面だけ見れば賛同するべき点が多いと思っていました。
けれど、それを実現する道筋が語られていませんでした。過去の自民党の「悪政」が既成事実の山となっていることが、政権を取るだけでそんなに簡単に覆るんでしょうか?ワタクシはどうも信じられませんでした。
この国で既成事実を変えるには、「相手がタヌキなら、こちらはキツネになってやる」という気持ちでなければ成し遂げられない気がします。
ハトヤマさんという人は、どうも自分が自民党創設者の孫だという自意識ばかり強い人で、自民党ができなかったことをやって歴史に名を残そうという思いだけが先に立っている危うさを感じたものです。
まあ、案の定でしたけどね。
細川内閣のときもそうでしたが、えてして旧社会党の人が閣僚になると、急に官僚の振り付けに忠実になってしまう人が多い感じがします。鳩山内閣のときの赤松農水大臣など特にそうです。
要するに、大臣というポストにつくと、周りを官僚に取り囲まれて外の情報が遮断される状況に陥るだろうということに、いちばん鈍感なのが、もともと政治家として大臣になることなど全く想定していなかった旧社会党出身者なのでしょう。
千葉法務大臣もまた、大臣になれば法務官僚は自分に対してどういう包囲網を敷いてくるかを全く想定していなかった感じがしました。要するに、いつのまにか神輿に乗せられたということで、相手の思惑をやり過ごしながら自らの言い分を通すといった、粘り強い「戦略」などは持ち合わせていなかったということでしょう。
ハトヤマさんもカンさんも、千葉景子さんという人が死刑廃止議員連盟に入っていたことを知って彼女を法相に指名したんですから、千葉大臣が死刑執行のサインをしなくても、それは法相としての任務放棄にはあたりません。
死刑が法律上合法である以上、自身の信条はともかくとして執行するべきだという人が、大臣が選挙で残念な結果になれば、今度は落選した人が大切な死刑執行の決断をするのはケシカランと言い出すのは、なんとなく滑稽です。
日本の政治において、政治家がそれまでの信念を貫くということができないで終わることが多いのは、信念を貫くということが「精神論」として語られるのみで、信念を貫くために「戦略」が必要だということになっていないからでしょう。
ワタクシは千葉大臣の死刑に関する言動や、夫婦別姓法案への思いが今回の選挙で神奈川県民から不信任を得たとは思いません。
むしろ、自分の信念をどう形にするかを熟慮し、就任の記者会見で述べた課題である選択議定書の批准、取調べの可視化などの実現に向けて、戦略を持って「既成事実の総合商社」である法務官僚の壁に穴を開ける熱意を見せなかったことで、熱心な支持者が離れてしまったのだと思われます。

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