いま、大学生を中心とした10代後半〜20代の若者たちの間で、「社会貢献ブーム」が起きているという話をある経済雑誌社の人から聞きました。
「社会起業家になりたい」、「NPOに就職したい」という社会貢献を仕事にしたいと本気で考える人が激増中なんだそうです。
しかし一方、「社会貢献で本当にメシが食えるのか?」という疑問もつきまとう、とのこと。日本のNPOスタッフの平均年収は200万円とも言われており、「社会貢献を仕事にする」といっても、厳しい現実があるとその人は語っていました。
ワタクシに言わせれば、そういう話は別に新しい話ではありません。実はもう20年くらい前から、繰り返し言われていることです。ただ時代によって、使われる言葉が変わるだけです。
「NGOに就職したいという若者が増えている」という話を20年くらい前に聞きました。
あるいは、「国際協力」の仕事がしたいという時代もありました。
NGO(非政府組織)がNPO(非営利団体)に代わり、前者が海外に関係ある活動、後者は国内の活動という大雑把な色分けはあるようですが、NPOの方が比較的新しい言葉のようです。
「社会起業家」という言葉も最近はやっているようです。
要するに、会社などの営利企業ではなく、海外の貧しい人々のための仕事がしたいとか、国内・国外を問わず非営利の社会活動を仕事にしたいという話です。
社会起業家というと、フェアトレードのように営利企業であっても、社会や恵まれない人々への貢献をする事業を始める人ということでしょうか。
そしていつもつきまとうのが、その種の非営利組織の仕事は、やりがいがあっても低収入だという話です。日本には、欧米諸国と違って「寄付」の文化がないから、なかなかそういう活動は根付かないんですよね、という話が結論として語られます。
ところが最近では、名前の知られた広告代理店や一流企業の市場調査担当の社員が、零細なNGOやNPOの広報活動を手伝う活動も注目されています。
NHKのクローズアップ現代という番組(2010年7月1日放送)で「プロボノ〜広がる新たな社会貢献」というテーマが取り扱われていました。
今、若いビジネスマンたちの間で、金融や広告、研究職などこれまでボランティアとは無縁と思われてきた層を中心に、仕事のスキルを生かした新たな社会貢献として「プロボノ」とよばれる活動が見られるようになったというものです。
「プロボノ」の語源はPro Bono Publico(公共善のために)というラテン語で、2000年頃からアメリカで始まり、社会に有益な活動をしているが資金も人材も不足しがちなNPOを受け皿に活動が広がり、今では10億ドルの経済効果をあげているという内容でした。
なぜ忙しいそれら社員が、仕事が終わってからの時間をボランティア活動に費やすのかというと、確かに自分はそれなりの職業上の知識を使って企業で仕事をしているけれど、仕事自体が細分化され、自分の仕事が企業の収益に貢献しているという事以外に、社会に貢献しているという実感が持てないからということらしいです。
プロボノなどという言葉を使うと、いかにも新しいことのように思えますが、実はいまから20年くらい前、経営学者のドラッカーさんが書いた「非営利企業の経営」とかいう本を読んでいたら、アメリカで一流といわれる会計事務所の公認会計士や税理士が、海外援助をしているNGOの経理をほとんど無償で引き受けているという話が書いてありました。
彼らは、要するに彼ら専門家は、自分の知識が社会に貢献できるのだという実感を味わいたいのだが、本業ではそれができないからだ、というようなことがそこには書いてあった記憶があります。
企業の仕事は給与はあるが、やりがいはない。NGOには、やりがいはあっても、給与を出す余裕がないようです。
実はそのころワタクシは、フィリピンの農村支援をしていた小さなNGOで、国内向けの機関誌を作る仕事をしていました。
そして機関誌のデザインやレイアウトをまさに広告デザイン事務所で働く専門家の女性が引き受けてくれて、広報資料の質が大いに向上した経験をしました。
彼女は会社で、仕事時間中に堂々と、自分の仕事時間をやりくりして、無償の労働をしてくれていました。まあその会社の経営者の人が、多摩美術大学の出身で、ワタシの努めているNGOの設立呼びかけ人をしていたシンガーソングライターの小室等さんも同じ大学出身者で、「小室さんがやっている団体なら協力する」といってくれたという事情もあったようです。
要するに、いろいろな言葉使いが変わるけれど、結局同じようなテーマが出たり、引っ込んだりしているのがこの20年くらいの傾向のようです。
ついでながら、ワタクシがそのNGOのスタッフになった理由は簡単です。その団体が募金集めをするのに、全国のキリスト教の教会や今まで募金をしてくれた個人に郵便物を1万通以上、毎年2回くらい出さなければならなかったわけです。それこそボランティアでその種の発送作業を短時間手伝ってくれる人はいましたけれど、だんだん回数が重なると、そんな単純作業を頼んでもやってくれる人が少なくなります。
バブル時代のあのころに、いくらでもお金になるアルバイトはある中、そんなアホなことを続けてやる人がいないのに、それを人よりもたくさんやるバカな人が一人だけいたということです。
やっているうちに、事務所の雑務一般の事情に通じてきたということで、1年弱くらいたったころ、「じゃあ少しばかり給料も出さなきゃ悪いね」ということになったわけです。
もし資金がもう少し潤沢な団体だったら、ワタクシのような他に専門知識も技能もない人がスタッフになれる道はなかっただろうと思います。
後にワタクシはそこに7年くらい勤めてから、ニュージーランドの大学で開発学の修士を取りましたけど、そのとき聞いた欧米のNGOの事情を聞いても、大学を出たての、なんの知識も技能も経験もない人を新人として雇って、新人教育をするようなことはあり得ない話のようです。
あり得るとしたら、自分で有志を集めて新しい団体をいきなり立ち上げることでしょうか。もちろん、そういう団体はまだ海のものとも山のものともつかない存在で、給料が定期的に出るほど資金集めができれば幸運、というオハナシでリスクが高い。
さる市民運動の大先達の人が、彼の代表をしている団体にある大学生が「就職」活動に来たら、「まずどこかの企業で働いて、それでもNGOの仕事をしたいと思ってから来て下さい」と言っているのを耳にしたことがあります。
もっとも、最近の企業は新人を育てるなんて悠長なことを言っている余裕がなくなりつつあるという話も聞きます。
就職するには経験や技能が必要だ、しかし経験や技能を積むにはどこかにまず就職しなければならない。したがっていつまでも就職できない・・・。こういうのを、Catch 22 Syndromeというらしいですね。

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