団塊の世代とかいう言葉の生みの親である堺屋太一サンは、女子プロレスのファンであるらしいが、どうも中高年男性は、女性同士がケンカするのを見るのを好むようであります。
辻元清美さんが社民党を離党した話は、かなり大きく新聞各紙が取り上げた。
産経新聞などは、「辻元はいつから現実主義者になったのか?」みたいな解説委員の署名解説記事まで出ていた。
しかし、このニュース、産経新聞解説委員の意気込みは買うにしても、そんな大きく扱うべきニュースだったんだろうか?
辻元さんの離党によって、社民党内は福島みずほ党首に対する批判が噴出し、党分裂の危機だと各紙が書きたてたが、その後、ニュースはピタリと途絶えた。なぜだろうか?
確かに社民党内に福島党首に対する不満があったことも確かだろう。ワタクシは、辻元さんが福島さんと仲が悪いのか良いのかホントのところは、知らない。
朝日新聞社のAERAなどは、「福島さんはわたし(辻元さん)が電話したのに、電話に出なかった」なんて見出しの記事を意味ありげに出していた。中を読むと、どうも見出しとは違うニュアンスの、いつもの週刊誌的テクニックみたいだけど・・・。
朝日新聞はいつの間にか、東京スポーツ的になったみたいであります。
要するに、各紙政治部の記者たちは、福島さんと辻元さんは仲が悪くて、ケンカしているというストーリーで話を作りたいという「欲望」が見えてくる。
だがどうも、話は政治部的な感覚とは外れていたみたいだ。
辻元さんが離党したために、福島さんを引きずり降ろそうとする党内の「風」はかえって行き場を失ったみたいであります。結局、社民党内も静かになったし、結果的に辻元さんは福島さんを助けたような形になったみたいだ。
つまり、党内の福島さんに対して不満がある人たちが、辻元さんを担ぎだそうとする動きは、結果的に封じられてしまったわけである。
社民党内の福島さんに対して不満タラタラの人たちは、自ら党首に名乗り出るほどのタマではないから、誰か「人気者」を担がざるを得ないから、こういう帰結にならざるを得ない。
結果的に、マスコミ関係者が期待した「オンナどうしのケンカから社民党がドタバタになって、分裂」みたいな動きは、はぐらかされた結果になったわけである。
また一方には、社民党の周辺にいる「市民運動」系の人々の反応に多いのだが、辻元は国土交通副大臣のポストのうまみにつられて権力に擦り寄り、「転向」したという批判の声もあった。
しかしこれもまた、大手マスコミ政治記者たちの「女どうしの足の引っ張り合い」的モノの見方と裏腹の、なんかお決まりのステレオタイプなモノの見方である。
辻元さんが国土交通副大臣の仕事を続けたいという気持ちが強かったのは事実であろう。事実、かなり難しい交渉事を副大臣としてまとめて、前原大臣のみならず、民主党内でもその手腕を認める人が多いようであった。
しかし、辻元さんも5月末に福島さんが大臣を罷免されたとき、社民党が連立離脱をせずにそのまま連立与党の一員として参議院選挙に突入していたら、おそらく社民党は一議席も取れなかったであろうことをきちんと理解していたようだ。
少数政党に不利な選挙制度の下、それでも選挙で生き延びるための戦略だと考えれば、福島さんと辻元さんの二人の行動は極めて合理的だといえます。ひょっとしてこれは連係プレーなのかね?
参議院の比例区では、民主党とは違うぞということを示さねば議席はとれないが、衆議院の小選挙区で議席を取ろうとすれば、民主党の支持者から票を取らねばならない。その与えられた現実をくぐり抜けねばならないわけでありましょう。
いずれにしろ新聞記者オジサンたちの、女子プロレス好き的な期待は見事に外れたわけですから、面白くないことおびただしい?

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