ラルフ・ネーダーさんという人がいます。60年代、アメリカの消費者運動家として自動車メーカーの利益第一主義を批判した人として有名です。
彼の言説は時に過激だといわれ、自動車メーカーはその活動を執拗に妨害したのですが、今ではシートベルトの着用など安全性に投資をするのは当たり前のことになっています。
そのネーダーさんは、このところ毎回アメリカの大統領選挙に「泡沫候補」の一人として出馬しています。
2000年のブッシュ対ゴアの大統領選挙では、民主党の票をネーダー候補が食ったために、ブッシュ勝利に結果的に「貢献」したじゃないかと批判攻撃され、主要メディアからほとんど人間性を否定する扱いを受けました。
オバマさんが当選した2年前の選挙のときも彼は出馬しましたが、その選挙活動はほとんどマスコミから無視されました。もちろん日本ではゼンゼンと言ってもいいくらい言及されませんでした。
「貧困大国アメリカ」(岩波新書)の著者である堤未果さんは、共和党支持者からは過激派とよばれ、民主党支持者からはリベラル派の当選を妨害すると叩かれ、大手マスコミからは無視される彼がどうして私財をなげうっても出馬するのか、選挙キャンペーンを直接取材したそうです。
彼の支持者は、ネーダーにはオバマにもマケインにもない価値がある。それは「選択肢」だと述べたそうです。(『選択肢の価値』堤未果。「ベスト・エッセイ2010 この星の時間」所収 光村図書)
先進民主主義国といわれる国で政権を争うような大政党、アメリカでは民主党や共和党の選挙戦では、両者がかならず議論を避けたり、あるいは故意に無視したりするテーマが生まれます。
ネーダーさんは、自分が立候補することで、オバマもマケインも献金先に遠慮して言えないテーマがあることを人々に気付かせることになると言います。
日本の政治も、まるでアメリカの後追いをするかのように、競馬中継のような様相を呈してきています。その喧騒の中で、人々はますます自分の中の政治への無力感に落ち込んできているようです。
そんな日本の現状についての説明を聞いた後、彼はこう言ったそうです。
「日本の人々に伝えてほしい。決してあきらめないようにと。どれだけ政治が劣化しても、不信感が絶望に変わる前に立ち上がるのです。顔を覆っている両手を大きく広げて、横の人間と手をつなぎなさい。今すぐ結果が出なくても、二十年三十年先にどんな社会を望むのかを明確にイメージすればいい。私は苦しい現実にのまれそうな時はいつも、孫やその先の世代に残したい未来をあれこれ想像します。するとどんな小さな変化でもそこに向かう道になり、再び力が湧くのです」。
本当に大切なことは全然論じない今の政治に絶望している、という人は多いでしょう。
しかし、貧困や差別など、本当に大変な状況にいる人は生き延びるのにせいいっぱいで、絶望することすら許されないことを忘れてはいけません。
今の政治に絶望したとか、行き場がないなどと軽々しく言う人は、しょせんまだまだ少し高みに立ったところでモノを言う、思いあがった人間だと申せましょう。
言葉を奪われた、本当に社会の底辺で差別や貧困の渦中にいる人のことを考えつつ、職業政治家が巧妙に語ることを避けているテーマはなにかを批判的に考えることが、政治について考えるということなのでしょう。

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