「私の情熱は外交にはない。それは、私が人生を費やしてきたものではない」
オーストラリアのギラード首相は、ブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)首脳会合に出席したとき、オーストラリアのASCテレビのインタビューでこう言ったそうです。(朝日新聞16日 週刊アジア 亜州発言録)
自分が政治活動を始めたのは、教育問題がきっかけだから「もし選べたのならば、国際会議よりも豪州の学校で子どもたちが勉強している姿をみていたかった」とも語ったそうです。
まあ世界各国が自国通貨切り下げ競争という、ちょっと不毛な事態に陥っていますから、政治家たちも気分がウチ向きになるのは致し方ないのかもしれません。ウチ向き志向の政治はなにも日本のお家芸ではなさそうです。
そういえば、我が国の総理も外交には本来関心がない人みたいです。
我が総理が人生を費やしてきた政治課題は、その著書「大臣」(岩波新書)に見られるように、政権交代と政治主導の政治、とくに官僚主導の政治の象徴である事務次官会議の廃止だったわけです。
でも、どうやら昨年の8月にそれは実現してしまいましたから、目標喪失のまま、首相の座を手にしたという実にヘンなことになってしまったということでしょうか。「政治主導」はいいけれど、政治主導で何を、どうやってやるかは考えていなかった?
もっとも、ギラードさんが追い落とした前首相のラッドさんは得意分野は外交ということでありましたが、難民受け入れ問題や鉱物資源開発への課税問題で内政をまとめきれずに退陣を余儀なくされました。
まあ、外交が得意という政治家は、えてして外交舞台で大見えを切って、後に国内の調整に失敗して行き詰まることは多いようです。
第一次世界大戦後アメリカのウイルソン大統領は、世界平和維持のために国際連盟の創設を呼び掛けました。しかし自国の議会が批准を拒否したため、提唱したアメリカが参加しない結果に終わり、失意のうちに退陣しました。
そういえば、我が国の前首相なども得意分野は外交だというオハナシでしたっけ。うーん、それが見事に外交問題でコケたんでしたよね。
政治家に得意分野があるのはいいけれど、腕がふるえる立場に立った時に、出番がうまく回ってくるとは限りません。返って、得意分野ゆえに言わなくてもいいことまでしゃべりすぎて墓穴を掘ることも多いようです。

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