「安らかに眠って下さい。過ちは 繰り返しませぬから」というのは、広島の原爆慰霊碑に刻まれた碑文の言葉として有名なのですが、長年にわたってこの碑文のことばはおかしいと指摘されてきた。
要するに、過ちを繰り返さないと誓うなら、それは原爆を投下した国のほうであって、どうして落とされた側がこんなことを言うのかというわけである。
1983年になって、広島市は碑文の主語は「全人類」であるという解釈を記した説明書きを碑文の近くに作った。
しかしながら、この碑文が作られた時代を考えれば、この言葉は案外意味のある言葉なのかもしれない。
原爆慰霊碑の除幕式が行われたのは、1952年の8月6日だった。つまり、日本がサンフランシスコ講和会議で独立を回復して初めての8月6日である。
この慰霊碑の文面は、当時の広島市長の浜井信三が、広島大学教授の雑賀忠義に依頼して作られたものだった。
考えてみれば、当時の広島市長が、原爆を落とした国の責任に触れるようなことを言えるはずもない。
「投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして壊滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦いを終結に導く要因となったことは不幸中の幸いであった。」
これは浜井市長が1947年の第一回平和祭で読み上げた『平和宣言』の一節である。
これを今日的視点から見て、まるでアメリカ側のコメントのようだ、原爆を落とされた広島の側の人間がこんなことをいうなんて、という感想が出てきそうである。今仮に、広島市長がこんなことを言えば、おそらく「失言」ということになる。
しかしながら、当時は浜井市長の側から見れば、これだけのことを言うだけでも占領軍の検閲が通るかどうか、内心ひやひやだったというのが真相らしい。
そういうことを考えると、「安らかに眠って下さい。過ちは、繰り返しませぬから」という碑文も、なかなかによく考えられたもののような気がしてきた。後世にちょっとした「論争」を巻き起こしたことも、それはそれで意味があったのではないかと思う。
今、アメリカを日本という場所で批判するのはやさしい。しかし、この碑文に主語がないと批判する人は、当時の時代背景を考えつつ批判しているのかどうか。

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