時代は変わったということは分かっていても、人が自分の若かった時の支配的な思考の枠組み(パラダイム)から抜け出すのは容易ではない。「超マクロ展望 世界経済の真実」(水野和夫・萱野稔人 集英社新書)を読むと、それがよくわかる。
ヨーロッパにおいて、中世の封建社会が絶対王政を含めた近代国家に変わり始めるのは16世紀ぐらいであるが、この時代は国王が資本家も兼ねていた。国王が支配できる範囲が国境線になっていく。
資本主義と民主主義は同時に発達するものと今の常識から考えてしまうが、実はこの二つが結びつくのは市民階級が生まれてからである。
市民階級が力をつけていく中で、国民が資本の担い手になり、国王の権力は弱まっていく。
同時に、マルクスが「資本論」の中で言うように、資本の原始蓄積は政治的になされるほかはない。要するに、国内においては労働者階級を作り出し搾取することと、植民地からの略奪である。
露骨な植民地主義による略奪の時代は終わったにしても、第二次世界大戦後の西側先進国の経済成長を支えたものが、第一次産品や資源の有利な交易条件であったことは間違いない。
日本の1950年代から60年代の高度経済成長も、資源が安価に手に入るという国際社会の条件がなければ実現はできなかった。
1950年代、いわゆるアメリカ式生産様式で自動車や冷蔵庫などの消費財がどんどん生産された。日本をはじめとした他国もそれに追随した。
しかし、国内の市場が飽和状態になれば投下した資本から得られる利潤は小さくなる。耐久消費財が社会に行き渡れば、市場の拡大がなくなる。
そこにいわゆる第三世界といわれる国々のなかで、石油を産出する中東をはじめとする国々が力をつけ、70年代になって石油危機が起き、無限に安く手に入る資源というものが、ある恵まれた時代の条件の下にあったことだったということが明らかになる。
そこでアメリカは、実物経済における利潤率の低下を補うために、金融経済を拡大させる。日本も、アメリカの政治的圧力の中で、金融の自由化が着々と進められた。
アメリカは、金融による覇権で世界を牛耳ろうとした。80年代、それは成功したように見えた。実際、途上国は債務危機に見舞われ、共産圏の国々は国家体制が転換し、市場経済がグローバル化して世界を席巻するかのように見えた。
同じころ、日本の経済は失われた20年に入ろうとしており、若者たちは景気の良かった時代の日本を知らない。
アメリカは様々な形で「バブル」を起こすことで、自らの金融帝国を作り出し、アメリカに世界の資本を集めることで経済を維持してきたが、住宅バブル崩壊とリーマンショックで明らかに潮流が変わりつつある。
日本の経済の立て直しをいうのなら、それは日本の高度経済成長が、どのような国際的な関係性の中で可能であったのかを冷静に捉えることができる人物がかじ取りをするべきである。
しかし、今の政治や経済の指導層は、高度経済成長時代のパラダイムに拘束されて身動きがとれなくなっているのである。

0