今、チュニジアやエジプトをはじめとした中東諸国の「民主化」が注目されていますが、インドネシアでスハルト政権が倒れて民主化が行なわれたのが1998年のことでした。
イスラム教徒が多数をしめるインドネシアのその後のあゆみを見てみることは、民主化後の中東諸国のことを占うのに参考になるかもしれません。
スハルト政権以後、現在のユドヨノ大統領が2004年に就任するまで、政治的に安定しない状態が続きました。しかし、現在は政治的にも経済的にも一応の安定期にあるとは表面上言えるようです。
しかしながら、長くインドネシアを見てきた人から言わせると気になるのが、昔は見かけなかった顔以外の身体部分をベール(インドネシアではジルバというそうです)で身を包んだ女性が増えたことだと言います。
かつてはそれほど厳格ではなかったインドネシアのイスラム教ですが、現在ではしだいに中東諸国の原理主義的なイスラム教を持ち込もうという気風が増してきています。
最近注目されているのは、アフマディー教団という少数派イスラム教の住む地域が襲撃される事件がジャカルタの西に隣接するバンテン州で起き、さらに別の地域では彼らが難民化して別の場所に避難しているようなことも起こっているそうです。
インドネシアではイスラム教徒と少数派キリスト教との間の軋轢はかねてから時々おきてはいましたが、イスラム教の中でも急進派が力を持ち始めて、争いの種になってきています。
皮肉なことに、民主化が進んだことで地方自治が進んだことで、地方の首長の裁量が増え、自分の権力を強めるために住民の宗教的争いを助長する知事も出てきたりします。
憲法や国の法律では一応、宗教の自由がうたわれてはいても、条例としてかなり問題がある規定を置くことが可能になってしまうということもあるようです。
例えば、イスラム教徒の多い地域の中にキリスト教会を建設しようとすれば、周辺の住民の100人の同意書を得なければならないというようなことが決められる。そうすると、それは事実上建設不許可と同じ効果を持つようになります。
住民の宗教的不寛容を地方の首長が助長し、さらに大統領をはじめとした中央の政治家や官僚は、「それは地方の権限に属することだから」と有効な手を打つことを回避したりすることも目立ってきています。
スハルト政権を倒し民主化を成し遂げたとき、人権団体や女性団体なども力を得て民主化に貢献したのですが、そういう人々に言わせれば、自分たちが勝ち取った自由な社会を最大限に利用したのがイスラム原理主義だった、ということになっています。
イスラム原理主義がこれまでイスラム教の教義そのものには無関心で、慣習的に受け継いできた人々をうまく組織化していくという構図がそこにはあります。これに対して、イスラム教を現代的に解釈するリベラルな宗教的言説は、一部の知識階層にしか影響力を持ちません。
自由や民主主義や地方自治というものはそれを獲得することは確かに大切なのですが、それだけでは不十分で、それを有効に活用することがなければ、たちまち人々はそれに幻滅することになるということをインドネシアの経験は教えてくれるということなんでしょう。

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