小沢一郎さんの強制起訴に関してどう思うかと問われれば、小沢さんに政治資金収支報告書への記載を報告し、了承を得たという石川知裕秘書(現衆議院議員)の供述が信用できないとされたそうであるから、おそらく有罪とする証拠は何もないことになるので、そもそも無理筋な話だとワタクシは思う。
確かに政治資金収支報告書に記された世田谷の土地購入資金の出元についての説明が、政治資金、銀行融資、手元資金というかたちで変遷した点が怪しいといえば怪しい。
だが、怪しいというだけでは足りない。法に反するという証拠が必要だ。
そもそも検察側が資金元とにらんだ西松建設関連団体からの資金という線は崩れた。記載ミスによる有罪へと持ち込もうという戦略は、結局検察自身が法廷を維持できないと感じて不起訴にした。
にもかかわらず、検察審査会が具体的な証拠もなしに起訴相当という議決をしたのは、現行の検察審査会に関する法律に不備があるとはいえ、権限の乱用ではないかと考える。
検察審査会の強制起訴制度は見直し、明らかに証拠はあるのに「起訴猶予」となった事件について、その判断が妥当かどうかを問うこととして、検察官が証拠がそろわないから嫌疑不十分だとした事件については、強制起訴の対象から外すべきだろう。
ただ、ここまで読んで「お前は小沢のイヌか」などという感情的発言が飛び出すことが予想されるのであえて言うが、ワタクシは初めから民主党にも、小沢さんの「政治手腕」にも全然期待も支持もしていない人間であることを表明しておく。
あくまでも、証拠もないのに起訴したり、単に人物に対する好みで裁判にかけろなどというのはおかしいと言っているだけだ。
小沢さんが自民党幹事長時代のことを持ち出したり、あるいは「日本改造計画」では新自由主義のお先棒を担いだくせに、小泉さん以後は急に政策を変えたりしたと非難して、「だから小沢という政治家は信用できない」という人もいるが、ワタクシは別にそこまでは言わない。
しかし、仮に小沢さんに「政治とカネ」疑惑がなく、政権交代によって小沢首相が生まれていたとして、果たしてそれがその後どうなっていたかといえば、おそらく今の菅政権の行きづまり以上のことができたかどうか、はなはだ疑問だと思う。
与謝野新大臣が始めた社会保障改革検討本部の有識者委員が自公政権時代とさほど変わらないメンバーだということに象徴されるように、民主党のマニフェストに掲げられた政策は、遅かれ早かれ、象徴的な一部を除いてほとんどすべて取り下げられる日が来るだろう。
小沢さんは福田政権のころ、大連立を画策して結局党内の反対で引っ込めた経緯がある。
そのことや、鳩山政権誕生の後、小沢幹事長が自民党の支持組織を総て引きはがし、民主党へ引き寄せようとしたことから推測できることは、とにもかくにも参議院選挙で多数を確保してから、民主党政権の基盤を固めた上で、自民党を巻き込み、「君子豹変」して財政健全化路線に転換するという作戦だったのだろう。
ワタクシはそのように推測する。
ただ、これから小沢さんが民主党にとどまるにせよ離党するにせよ、小沢さんにとっての痛手というよりは、残された菅総理を中心とする現民主党執行部にとにとってのほうが痛手ではないのか。
つまり、「小沢さんならば、今とは違う何かができたのに」という小沢幻想だけが一部の人の間に生き残って、現執行部が公約違反、マニフェストへの裏切りという汚名を一身に背負わされる結果になって、次の総選挙を迎えるわけである。
そんなくらいなら、かえって「小沢総理」が一身に泥をかぶるというシナリオのほうが、まだ民主党自体への傷を浅くする道だったのかもしれませんなあ・・・。
いや、もっともそれもワタクシの推測にすぎない。いずれにせよ、小沢さんはこれで裁判というか法廷闘争に専念せざるを得なくなったわけです。
小沢さんの名誉のためにいえば、これで「小沢総理」なら日本政治に奇跡が起こせたかどうかが永遠に証明不可能になったということであります。それは日本人にとって良かったのか悪かったのか、神のみぞ知る???

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