石原慎太郎東京都知事は14日に蓮舫大臣が節電協力の要請に来たとき、大震災に関連し、「この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」などと発言した。
知事は、「日本人のアイデンティティーは我欲になった。金銭欲、物欲、性欲」と指摘して、「アメリカの国家的アイデンティティーは『自由』。フランスは『自由と博愛と平等』。日本は無い」と強調した。半面、「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べたそうである。
まあ、石原さんといえば右派ということだけど、こういう人、昔の左翼・疑似インテリにいたような気がする。
つまり、日本は欧米に比べて遅れているとか、戦後の日本人は物欲にまみれているといいながら、まるで自分一人は「日本人」ではないかのような論理矛盾に陥っている人である。
戦後の日本人は、といいながら、なーに、自分こそ一番典型的な戦後の日本人だったりするのだが・・・。
人によっては、アメリカの宗教右派というか、キリスト教原理主義の人も似たような発想があるらしい。「最近のアメリカ人は・・・」という発想なんだろう。「アメリカ人はお前じゃないか・・・」。
ところが、この知事の「暴言」の背景には、どうも名古屋の河村市長への対抗意識がはたらいていたらしい。都庁での記者会見で発言の真意を問われた石原知事は、「例えば、減税という耳障りのいい言葉で釣られて国民が歓迎するという心情が、今の政治を曲げている。(今回の震災が)大きな反省の一つのよすがになるのではないか」などと説明したらしい。
つまり、河村市長と「減税日本」の背後にいるのは小沢一郎だということが気に障っていたのだろう。
石原氏の過去の発言をたどれば、彼が小沢一郎氏に異様なほどの敵愾心を抱いていることがわかる。
ちなみに、河村市長はそのうち「減税日本」で国政に返り咲き、「総理を狙う男」になりたいということなんでありましょう。
そしてその感情が、一度は引退をほのめかしながら、それを撤回した上に、「津波は天罰だ」発言につながったということでありましょう。
可哀想なのは、石原知事がてっきり引退するものと思い込んで後継を名乗って出馬宣言した末に、帰る場所もなくなった現・神奈川県知事であるが、まああんまり同情するには値しないけどね・・・。
さて、「天罰」発言が宮城県の村井嘉浩知事をはじめとして各方面から批判されたこともあって、今日になって、「言葉が足りなかった。撤回し、深くおわびする」と述べ、謝罪したらしい。
まあ石原サンが、いまさらあの年であるから、反省するなんてことはないだろう。問題は そんな衰えが目立つ男に投票した人たちが、どう反省するかだと思う。
それにしても、東国原サンは石原サンが出馬するなら自分はやめるというんだから、あまり政治的センスはない人だろう。ワタクシは彼を政治家として評価しないけど、もし彼が「減税日本」で出馬して石原氏と真っ向対決すれば、それはそれなり政治屋として評価はできるかもしれない。
しかし、彼は大地震や原発事故を前にして、「自治体の首長というのは限界がある」などと述べているらしい。しかし彼の正体は、口蹄疫騒動で怖気づいて宮崎県知事を一期で放り出したあたりで見透かされているというべきだ。
自治体の首長だろうが、総理だろうが、平時の時は神輿に乗っていれば誰でも勤まる。大事なのは、非常時が起きたときに自分の置かれた立場の限界に直面しながらも、出来る範囲のことを批判されても逃げずに実行するかどうかでございましょう。
総理だって、自治体の首長だって、実はやれることなど限られているにもかかわらず、なんでもやれるようなことを言わなければならない立場なのであります。

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