菅首相は25日の参院予算委員会で、統一地方選での民主党の低迷や、大震災・原発事故への不十分な対応などを理由に与野党から退陣要求が出ていることについて、「こういう事態に責任を放棄することは、私にとってあり得ない選択だ。今の私が担っている責任を自ら放棄することは全く考えていない」と述べ、事実上、辞職を拒否する考えを強調した。
これを聞いて腹立たしく思う人は多いだろう。
しかしながら、いまはどうも菅サン以外に選択肢がないような気がする。ワタクシもそれが望ましいなどとは、九牛の一毛ほども思わない。
だが、入り組んだ災害対処が目前にある中で、退陣し、その後すぐに組閣、職務引き継ぎを間断なく行える人材が確実にいない限り、現実性がないように思える。
こんなことを書けば怒る人がたくさんいることは分かっているし、実はワタクシこそがいちばん怒りたい気分ではあるのだが、被災者・被災地は権力の交代に耐えられる余裕がないのが事実だと言わざるを得ない。
もちろん原発事故への対処も、一刻も止めることはできない。
無能な宰相が居座り続けることこそが「政治的空白」だ、と演説するのは簡単だが、いまや政治の不在のみならず、行政の不在も問題になっている。
実は菅自身がこれを熟知しているように見えることもまた、腹立たしいところではあるのだが・・・。
菅はだから強気なのであろう。不信任案なんぞその企てが報道されたとたん、通した与野党が政治責任を問われることになるということが明らかだからだ。そして、それでもリスクを侵して突き進めるほどの人物はいないと踏んでいるのである。
もはや失うもののないのは小沢サンだけだろうとはいうものの、なにせ「刑事被告人」にされてしまった。では彼の意を汲んで、リスクを取るほどの人が周辺にいかといえば、それも考えにくい。
小沢サンにせよ、誰にせよ、救国政権のための大連立の裏工作ができるほどの人物は結局いないし、誰もそこまで博打が打てる人はいないということを、菅は見抜いている。
冷静に考えてみると、いまはできもしない『お花畑』を夢見ている時ではない。
日本人は、「菅という悪夢」に耐えながら、ひとりひとりが生き残らなければならない時なのだろう。
実は、菅も民主党も3.11をゴールとする悪夢のリレーで、たまたま貧乏くじを引いたに過ぎないのではないかと、多くの人は気づいている。続々と続く短命に終わる内閣を見て、これが人材育成の失敗の結果なのか、人材を選択するシステムの不備なのかはいろいろ議論はあるだろうが、いずれにしても急場の対応には間に合わない。
震災が起きてまだ1ヶ月ちょっとであるが、小沢グループにも、野党・自民党にも、挙国一致を作り出すに備える時間が十分にあったとは思えないし、またその姿勢があったとも思えない。
この1ヶ月の各政治勢力の現実が、その限界を示している。

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