僕は昭和50年代初頭の三木武夫首相時代の「三木降ろし」を知っているからね。辞める気のない首相を交代させるのは大変なんだよ。しかも時間をかければそれこそ政治空白を生む。
こういっているのは森喜朗元総理(28日産経新聞)ですが、ワタクシも菅総理大臣の最近の行動からそのことを思い出したのでした。(まあ、あの森サンと同じことを連想するというのも、あまり嬉しくはないですが・・・)
しかしながら、三木総理の場合は、ロッキード事件での田中元総理逮捕が起きて、指揮権発動もしない三木さんに自民党内の各派が一斉に総理の退陣を求めるという形でしたから、「三木降ろし」をする方に世間の目は批判的でした。
逆に、三木総理は「世論」の支持を得て、総理の座を守ろうとしました。そこには「国民不在」の派閥抗争という批判はあっても、「クリーン三木」をなぜ引きずりおろそうとするのかという声もあったのは事実でした。
まあこのとき、総理大臣というものは自分から辞めると言わない限り、他人が辞めさせることはなかなか難しいものであることに気づきました。いざとなれば、閣僚全員をクビにして、全閣僚を兼任することも可能です。
三木総理も結局、現憲法下で唯一、任期満了まで総理大臣を続けて、結局総選挙で自民党が過半数割れになって、やっと退陣することになりました。(その後保守系無所属を入党させて過半数は回復し、福田赳夫サンが総理になりました。)
今年の初め、菅総理はインターネットメディアのインタビューに答えてこんなことを言っていました。最近の日本の総理大臣が短命なのは、難局にぶち当たったときに、気持ちが萎えてしまって続けられなくなり、自ら職を辞することになるからだ。自分は、少なくとも気持ちが萎えるようなことはない・・・。
ワタクシは、「あれ?この人は、ひょっとして三木武夫総理のことを言っているのかしら?」と思いました。
菅総理は1980年の、大平総理急死のさなかに行われた衆参同時選挙で初当選したわけですから、「三木降ろし」のころは議員ではありませんでしたが、政界入りを狙って活動中だったので当然ながら、三木総理のことが強く印象に残っていてもおかしくありません。
でもまあ、「菅降ろし」と「三木降ろし」じゃあ、世論の支持がだいぶ違うし、第一、あの時は大震災も原発事故もありませんでしたからねえ。

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