特攻隊から高校野球まで、若者が命をかけて不条理に身を捧げる姿を、老人が涙を流して消費する文化が日本にはあるようです。
何も「老人」を一般化する気はありませんが、何もあんな一番暑い時期の昼間に、連日野球の試合をやらせるというのはいかがなものか、などと批判するだけでも、なんだかKY扱いされたりします。
電気の無駄遣いは、何もパチンコ屋や自動販売機に限ったことではありますまい。真夏の昼間の高校野球中継を冷房の効いた部屋で見ることこそ一番の無駄だと思うのですが・・・。
しかし、なぜか「老人」の楽しみを奪うような発言は、好まれないようです。それに、高校野球は政治的立場の左右を問わないせいもあるのかどうか、わかりませんが。
「特攻隊が犬死であったかどうか?」というのがかつては論争になりましたが、忘れてはならないことは、大本営をはじめとした社会の指導者たちの「無能」の犠牲であったことだけは間違いがないところでしょう。
特攻隊も高校野球も、そんな不条理な文化の賜物のような気がします。
本当に特攻隊の若者をいとおしく思い、涙を流すというのなら、その涙は彼の同世代の老人が作り出す不条理の素を取り除く戦いにこそ向かうべきだと思うのですが???

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