高木仁三郎「いま自然をどうみるか」(新装版 白水社)から。
「チェルノブイリ事故は、核テクノロジーに関わるものであるが、それはまた、現代の社会においてテクノロジーと政治・イデオロギーとがいかに密接に関係しているかをわかりやすく示す格好の事例でもあった。事故の原因は直接的には、制御棒の構造的欠陥にあったが、その欠陥がつとに指摘されながらにぎりつぶされてきたことが、大災害を生んだ背景的原因であった。」
「皮肉なことに、この事故は、旧体制のイデオロギー的呪縛から自らを解き放とうとして、『ペレストロイカ』『グラスノスチ』の改革運動を展開中のゴルバチョフ政権下で起こった。そのゴルバチョフも、真相が天下に明らかになるのを恐れて、IAEA(国際原子力機関)にたいし虚偽の報告をし、人為ミス論でことを処理しようとした。また、事故の影響を極力小さく見せようと、徹底的した秘密主義をとった。」
「しかし、命の恐怖に直面した人々の情報公開を求める声は、大きな流れとなって政治を揺るがし、この流れはベルリンの壁の崩壊とソ連邦の崩壊につながった。もちろん冷戦の終結という大きな政治的変化は、さまざまな要因が重なり合い、相互に作用しながら起こったことではあるが、チェルノブイリ事故がひとつの要素となったことは確かである。」
「さらに、社会主義政権が崩壊してようやく多くの人たちにあきらかになったことであるが、東ヨーロッパでは著しい環境破壊が進行していた。自然と人間のよりよき関係のために、情報の公開とそれに基づいた民主的な意思決定がいかに重要か、チェルノブイリを端緒とする一連の事態の中で、人々の実感するところとなった。」(P.265-6)
福島第一原発事故は、核テクノロジーにかかわるものであるが、それはまた、現代の社会においてテクノロジーと政治・イデオロギーとがいかに密接に関係しているかをわかりやすく示す格好の事例でもあった。
事故の原因は直接的には、原子炉の冷却装置の構造的欠陥にあったが、その欠陥がつとに指摘されながらにぎりつぶされてきたことが、大災害を生んだ背景的原因であった。
皮肉なことに、この事故は、高度経済成長を支えた自民党政権のイデオロギー的呪縛から自らを解き放とうとして、「国民の生活が第一」「政治主導」の改革運動を提唱していた民主党政権下で起こった。
民主党政権も、真相が明らかになりパニックが起きることを恐れて、事故の真相に関する情報を極力小さく発表しようとし、東京電力のみにその責任を押し付けようとした。
しかしながら、そもそも原子力発電を「過渡的エネルギー」としてきた政治的マニフェストを書き換え、原発輸出を経済成長戦略の中心に据え、さらに地球温暖化対策の切り札であり、二酸化炭素排出量の少ない環境にやさしい技術として推進する立場に転向させたのは、民主党政権である。
したがって、東京電力のみならず、民主党政権そのものにも「原子力政策推進は自民党政権で進められた」では済まされない責任がある。
今明らかになっているのは、原子力災害の責任の所在が電力会社なのか政府なのかはっきりしない責任のなすり合いと結果としての「無責任体制」である。
これは第二次世界大戦のときの戦争責任以来変わっていない、この国の政治責任の不在がいまだに続いていることを示している。
さてこれから、「命の恐怖」に突き動かされた市民の声が政治に情報公開と政治体制の変革を求めるまでに進むのかどうか?

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