大災害後は暴動や略奪が横行するものなのに、日本ではそのようなことが見られないことは素晴らしいというオハナシが海外で広まっている・・・・。
そういう話を聞いて悦に入っている日本人が多いらしいが、どうも眉唾だとワタクシなどは考えていた。果たしてそれは日本人の特性なのだろうか?
ハリケーン・カトリーナに襲われたニューオリンズでは、集団レイプや大量殺人が続出したような報道がなされたのだが、実はその後の検証で、その多くが事実ではなかったということが明らかになった。
パニックに襲われたのは、市長や警察幹部などで、貧しい人々は相互に助け合い、普段は見ず知らずの人々が食べ物を分け合い、寝場所を提供した。
「無法状態」になるという妄想にとりつかれたのは、普通の市民よりも政治的エリート層や富裕階級のほうであろう。
報道も、ごくわずかな略奪行為を過大に報道することで、支配階級の潜在的な恐怖に形を与える。
災害は多くの人の命を奪い、家や職場などの生活基盤を喪失させる。それは事実であるが、同時に人々に隣人への思いやりの気持ちや援助を与える。それまで分断されていて、口をきいたこともない人々が声を掛け合い、赤の他人を家に招き入れることもある。
不幸な体験が、人々に社会への帰属心を目覚めさせ、自分の行為が他人のために役立っているという経験をし、利他的な気持ちを芽生えさせもする。
人々は、心の中に潜んでいた社会的なつながりへの渇望や、意味のある仕事をしたいと言う願望が、災害という不幸な経験の中で思いもかけずに実現し、日常における疎外や孤立が一時的にせよ解決されることを経験する。
しかしながら、政治的エリート層にとっては、普通の人々が自立的に動き始めることにある恐怖感を抱く。そこから、災害における無法状態とか、危険な群衆心理という思い込みが生じてくる・・・。

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