この春、相模原市が政令指定都市になったと聞いてビックリしたが、しかしよく考えてみれば、ワタクシの知っている相模原市は、1970年代中ごろの話である。
数年前に小田急線の相模大野駅の周辺がやけに小奇麗な街に変貌していたことを思い出した。
ふーん、あれからもう30年、いやもうすぐ40年近くになる。それじゃあ、昔のことをどうこういうのも、滑稽な話である。
しかしながら、相模大野駅はともかく、小田急相模原駅など、ムカシは真冬の寒い風が吹きさらしている中を電車から降りると、駅前の商店などもまばらで、なんだか満州あたりの大陸の駅に降り立ったような気がした。
まあ満州なんて、知ったようなことを言うべきではないかもしれない。
そういえば、駅の反対側をしばらく歩くと、あのころは米軍住宅のようなものがあったりしたし、畑なんかも広がっていましたね。
実は相模原市は、戦前から軍事都市だったようで、60年代後半から70年代初めは、米陸軍の補給廠からベトナム戦争のための物資が運び出されるのを止めさせた反戦運動などが行なわれた。
今ではすっかり米軍関係の施設は少なくなったが、今でもJRの横浜戦の相模原駅の北側には、東洋一とも言われる米軍の軍補給基地がある。

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