「秋葉原事件―加藤智大の軌跡」(中島岳志著 朝日新聞出版)は、加藤智大という青年が起こした、通称「秋葉原事件」を追ったノンフィクション。
著者は、被告の関係者を訪ね、自分の足で取材したことを中心に、丹念に事実を追いかけて、書いています。
読んでみると、「加藤智大」という一人の人物について、実に多くの人が、メディアを通して、自分の関心に引き寄せて、様々な問題を語っていることに改めて気づかされます。
問題は、引き寄せる側の操作により、どういった観点からでも読み解くことができるような気がする、ということでしょうか。
いわゆる、「ネット匿名掲示板問題」、「非正規雇用問題」、「リア充と非モテ・問題」、「ネタとベタ」、「人間関係は大切だ・問題」、「ワタシが彼であっても不思議はない・問題」・・・・。
そういう言説には、「悪いのは親だ」、「いや学校教育が間違っていたのだ」、「彼の育った環境が悪かった」・・・・と様々な思いが、語る人の関心によって反映されてきます。
しかしながら、中島さんの追いかけた加藤という人の足跡は、それらの様々な人が語る加藤というひとにまつわる「問題」も裏切るような気がします。
時にはなんだか拍子抜けするようなこともあります。「なんだ、友達がいないっていいながら、彼は結構たくさんの友達がいるじゃないか。オレの方がよほど『友達がいない人』なんじゃないだろうか・・・」なんて思ったりしました。
でも、たぶんいちばん多くの人が考えることは、自分がどれだけ「安全」な位置にいるのかを、確認したい、という欲求かもしれません。本のページをめくりつつ、「自分はこいつとは違う」とか、「コイツでなくてよかった」とかに一喜一憂して、小さな安心を得るためにこの本を読むのかもしれません。
でもいちばんこの本を読んで衝撃的なのは、裁判の終わりで、加藤被告が語った以下のような言葉かもしれません。
「今は事件を起こすべきではなかったと後悔し、反省しています。遺族と被害者の方には申し訳なく思ってます。以上です。」
この言葉に、通り一遍の反省をいくら言ってもココロがこもっていないと批判する人は多いでしょう。
だがワタクシには、彼のことを報道するメディアが不断に垂れ流している「予断」と「偏見」とか、検察官が取り調べを行うときの「捜査のシナリオ」というものをよく理解して、メディアに対して加藤被告が精いっぱいな「誠実さ」で答えた言葉だという気がしてしてきます。
「本心を言え」といくらメディアが叫んでも、日本の政治を論じるのに「政治とカネ」なんて雑駁な言葉づかいしかしない人たちに向かって、本心なんて言いたくても出てこないだろうなあ、などと思ってしまうのである。(要するに、すべてを予定調和的な「物語」にまとめたがるあの精神ですよね・・・。)
おや、ワタクシもまた、いささか自分の関心に引き付けて加藤被告を語ってしまう過ちを犯したかもしれませんね。

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