自民党は改憲案を作ったそうだが、今の憲法と全く違う憲法を作るということは、憲法「改正」ということと全く別の次元の話ではなかろうか。今の憲法を全く変える、それは憲法改正を超えて、むしろ「革命」に等しい。
自民党はいつから議会制民主主義を否定する「革命政党」に変身したのであろうか?自民党そのものではないが、現東京都知事・氏は現在の憲法改正手続きを飛び越して、現行憲法を破棄し、新たに憲法を作ることを主張している。これはまさしく、憲法改正ではなく、革命を主張していることになる。
憲法がほかの法律と違う点は、ほかの法律が国民に義務を課すものであるのに対し、憲法は99条に表れているように、公権力を持つ天皇、皇族、公務員、国会議員などが権力の行使において暴走しないために権力を抑制すため、憲法擁護義務を負わせているところにある。
したがって、公権力を担う立場にいない一般の国民は、憲法を尊重する義務は負わない。
たまたま、立場上様々な形での公権力を行使できる地位に選ばれた人に義務を負わせるのが憲法である。
ところがいまだに、現在の憲法には国民の義務があまり書いていないとかいう人がいる。
これは近代憲法の公権力の暴走を抑止するという立憲主義を理解していない証拠である。
また、憲法は「国のかたち」を書き記したものであるというのも誤解である。確かに憲法には、人権と統治機構が記されているけれど、それはあくまで公権力の暴走を抑えるためという観点から見るべきものだ。
もし国会議員、政治家、行政官はまず現在の憲法の枠内で、法律を新たに立法するなり、現在の法律を改正するなりして自分の政策を実現するように最大限の努力をするべきである。
そして、自らの政策を遂行する上で、新たな立法や現行の法律の改正によってはどうしても憲法上の制約があると判断した場合、現行の憲法のどの条項を改正するべきか、あるいは新たな条文を加えるのかを具体的に提起するべきだろう。これが憲法『改正』の手続きである。
当然に憲法改正の手続きにおいては、ひとつひとつの条文の改正案が示されるべきだ。
しかし、自民党のようにいきなり憲法の前文にわたってこれを書き直し、新たな憲法を制定するとなると、それは現行の法律と憲法の関係がどうなるのかが示されない。
現在の法律は、現行の憲法に適合するという条件の下で体系づけられている。まず憲法から変えてしまうというのは、憲法「改正」ではなく、新たな憲法体制の確立、つまり革命である。
民主党は、事業仕訳を行ったにもかかわらず、官僚が事業仕訳で廃止とされた独立行政法人を廃止しないと憤っている。しかし、廃止と決めたのなら、その独立行政法人を設置した根拠法にさかのぼって廃止する手続きをしたのかどうか?
自民党政権のとき、後期高齢者医療保険制度なんていう名前はケシカランといい始めた国会議員がいたが、なんのことはない、あの制度はその5年前に国会で議決された法律に基づいて着々と準備されたものだった。それならばなぜ、国会にその法律が上げられたときに国会議員はだれもなにも言わなかったのか?
現在の国会は、よく読みもしない法律案を機械的にベルトコンベア方式で議決している。逐条審議をしていない。また、現行の法律で時代遅れになったものを改正したり、廃止したりする作業もおろそかになっている。
つまり細かい法律のことを詳しく調査もしていない国会議員が、憲法のことなど論じて「明治維新の志士」を気取って「国のかたち」だのと言っているのは、十年早いということだ。まず目先の法律をどうするかをもっと勉強するべきだ。
まず現行の憲法の枠内で最大限の努力をして、どうしても憲法の枠を超えてしまう問題が出てきたときに、それを一般国民に訴えて憲法という公権力の行使を抑制するルールを書き換えることの許可を得る・・・。それが正しい憲法「改正」のありかたである。
抽象的な「国のかたち」で人の眼をごまかすようなやり方は、百害あって一利なし。

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