中国脅威論というけれど、ワタクシは中国の経済がこれからホントに「脅威」になるほど順調に伸びるのかどうか、疑問に思っている。
中国の経済の成長過程を見ていると、日本の高度経済成長路線をさらに2倍のスピードで進んでいるように見える。
ということは、日本の経済が90年代に入って行き詰まったパターンを、このままでは中国は同じように踏襲するのではないかという気がするのだ。
現に、台湾など、80年代末に新興経済成長国とされた国々が陥った少子化の隘路に、やがて中国も陥ると考えられるのである。
社会福祉が貧弱であるこのような国では、たとえ経済的に恵まれた高齢者であっても、カネを消費しないで貯蓄して使わないだろう。したがって、内需が冷え込み、やがてデフレに陥る。
さらに現役世代の人々の中の経済格差拡大は、少子化に結び付く。ますます、国内市場の縮小の原因となる。
日本の経済が蘇るためには、北欧型の高福祉国に国の方向を変えていかなければならない。
そしてそのために、税を上げることを有権者に提示して判断を仰ぐべきだが、今やっていることはまず税を上げて、財源を確保してからという話である。これでは消費税をどれだけあげても、税収があがるのは初めの数年、やがて税収減になり、そしてまた税率のアップを言い出さなければならなくなる。
これは国をますます衰退させて、少子化も止まらないだろう。
中国や韓国が嫌いな人は、ぜひとも日本の政治の方向を大転換し、を大きな政府の高福祉国に変えていくことに賛同していただきたいものである。なぜなら、そのような社会民主主義への大転換ができる可能性があるのは、アジアのなかで日本ぐらいなのだから。
社会福祉といっても、従来の老人中心の福祉政策ではなく、現役世代の失業給付や職業訓練を充実させ、教育にかける予算を増やすことである。企業・産業への投資でなく、そこに働く人への直接的な投資を行うべきであり、一人一人の住民の能力を伸ばし、有効に社会の中で活用し、価値を生み出すようにすることが大切である。
しかしながら、事態はますますそれとは逆に動いている。
人に投資するよりも、人への投資を削って「企業」(なかんづく、構造不況業種)に投資し、企業が価値を生み出すという方向に向かっている。したがって、社会の競争から脱落させられた人々は、その疎外感を歪んだナショナリズム感情へと発露させる。
愛国心は、ホントに自分の国を愛するというよりは、隣のケシカラン「非愛国者」「非国民」を炙り出し、社会から疎外されている自分こそが、実は最も重んじられるべきだという感情の発露なのである。
国内の経済格差がひどくなり、さらに競争からの落ちこぼれを作り出せば出すほど、「愛国的」運動は燃え盛るようになるに違いない。
愛国心が、実は国を分断して国力の源泉であるひとりひとりの能力の発露を阻害するのでる。

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