自民党の長期政権時代には、参議院は必要ない、盲腸のような存在だと言われた。
社会党の土井たか子委員長時代の1989年の参議院選挙あたりから、ときおり衆議院の多数と参議院の多数が「ねじれ現象」を起こすようになった。
1998年には橋本政権、2006年には安倍政権が参議院選挙の敗北によって退陣する事態になった。
こうなると、こんどは参議院が「決められない政治」の元凶だと言われるようになる。
参議院と衆議院が多数派が異なっても、予算は衆議院の優越があるから最低限の担保はなされているはずであったのだが、昨今は赤字国債を発行しなければ予算が執行できないようになってしまったので、赤字国債発行の法案は衆参両院で可決しなければならないために、混乱が目立つようになった。
しかしながら、ワタクシに言わせれば、衆参の代表者による両院協議会というものがあるのに、これを有効に利用していないことに問題がある。また、前例にとらわれずに例えば行政監察や長期的な視野に立った政策課題を、衆参合同の特別委員会で話し合うようにすれば、別に「ねじれ現象」を忌み嫌う必要はないはずなのだが?
そもそも、政府提案の法案がほとんど修正もされないで形式的な審議だけで原案通り可決されるような国会の在り方の方が問題なんだろう。
今回、民主党政権への失望からおそらく衆議院選挙は小選挙区制の性質上、かなり極端な主張を持つ勢力が多数を取る危険がある。
だが幸いにも、参議院で自民党と公明党が過半数を得ていない。そして、維新の会がもし仮に衆議院でそれなりの議席を得ることになったとしても、参議院の現状から見て、その影響力は限定的になる。
結果的に参議院があったおかげで、極端から極端へ振れる衆議院の小選挙区制の短所が、いくぶん激変緩和されるのはよかったと言わざるを得ない。少なくとも、次の参議院選挙まで、いくらか落ち着いて仕切り直しができる時間が与えられるわけだが、日本人はこの「猶予期間」をうまく利用できるだろうか?

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